アイの歌
すべてを。 すべてを呪う歌を。 すべてに。 すべてに、平等なる死が訪れますように。
* * *
火影からの言葉を聞いた時に我が耳を疑ったのは、一部の人間だけではないだろう。 実際、話の元である彼のチームメイトも顔色を失っていた。 「何の冗談だ?」 最初に口を開いたのは、ネジだった。 「今、話した通りじゃ」 重々しく火影が答える。 「そんな…だって………!」 青ざめた顔で何かを言おうとしたのは、サクラ。 「あのドベが、そんな大それたことが出来るわけがないだろう?!」 珍しく気色ばんでいるのはサスケだ。 「じゃが、今告げたことはすべて事実じゃ」 感情の起伏を見せないが、その声はかすかに震えている。 火影自身も信じられずにいるのだろう。 ナルトが… あのナルトが………
「里の人間すべてを亡き者にしようとしているのじゃよ」
* * *
最初に異変に気づいたのは、ナルトに最も近い場所にいたと思われるイルカだった。 訪れる度に姿が見えないナルト…最初は偶然かと思っていたそれが毎夜だと気づき、あのお節介な教師は小さな影を探して里中を駆け回ったらしい。 イルカがナルトを見つけたのは、里が一望できる崖の上。 何かをつぶやいていたらしいが、イルカの姿を見ていつものように笑ったから安心したという。 どうしてこんなところにいるのか、という問いにも「月が綺麗だったから」と答えたそうだ。 それを何かの話の折に聞いた火影は、何か胸騒ぎを感じて水晶でその様子を覗いていたらしい。 ナルトが口にしていたのは。 今はもう誰も口にすることもない古代の言葉による呪言だった。 呪言とは、祝詞と対極をなす言霊の一種で、強力な力を持つ呪いの歌である。 それを口にした者の命と引き替えに、解けることのない呪いをその地に張り付かせる…いわば、捨て身の術でもあった。 「なんだってそんな…第一、呪言なんて、もう廃れていて誰も知らない術なんじゃ………」 そう。 呪言は、太古の昔に封印された筈だった。 今ではもうおとぎ話にしか出てこないようなシロモノを、どうしてナルトが扱っているのか。 「かつてこの里に、一人だけソレを使う者がおった」 その言葉に、一部の上忍が唇を噛んだ。 今は亡き男のことを思い出し、そうしてナルトとの関わりを思い出す。 男は、この里のための生け贄にも等しかった。 呪言は、その力と引き替えに術者を死に至らしめる。 里の平穏を歌い続ける宿命を負ったあの男は、その任を全うし、命を落とした。 ナルトと男が出会った時には、すでに余命幾ばくもない状態だったことを、上忍達は知っていた。 けれど里のために死にゆく男から、その生の最後に手に入れた愛すべき者を取り上げることなどできず、結局黙認することしか出来なかった。 ナルトが悲しむ結果になることは分かっていた。 けれど、誰にもどうにも出来なかったことなのである。 男の死も。 ナルトの悲しみも。 けれど、予想していた以上にナルトの絶望は深かったのだと、今なら分かる。 あの男を失って。 そうして。 ナルトは壊れたのだ。 「ナルトの使っておる呪言は、恐ろしいほどの力を持っている。覗いていただけのワシでさえ、とっさに耳を塞がなければ心の臓をつぶされていたやもしれん」 あまりの言葉にゾッとする。 それほどまでに強い力を持った呪術を、その場にいた誰も聞いたことすらなかった。 「呪言は、歌う者の思いに比例して強くなる。それだけナルトがこの里を憎んでいるということかもしれん」 火影の言葉は、誰もが思っていながらも聞きたくない言葉だった。 それはつまり、あの少年が自分達ですらも拒んでいたという証で。 ナルトに近しい者ほど、その否定の気持ちは強かった。 「止めてくれ…」 火影は、ただそれだけを口にした。 ナルトを止めてくれ、と。 里を守るだけではなく。 あの哀れな少年自身を助けてやってくれ、と。 頷いた者達は、けれどその言葉の意味をはっきりと理解し、そしてどうしようもない躊躇いを覚えていた。
* * *
里を一望する絶壁のその頂点。 ナルトは今夜もそこから里を見下ろし、ゆっくりと歌い始める。 教えてくれたのは大切だった人。 大切だった人。 殺されてしまったけれど。 それでも大切だったあの人。 優しい歌を歌ってくれた人。 そうして、そっとこの歌を教えてくれた人。 あの人がいたから自分は優しい歌を歌えた。 けれどもう、あの人はいない。 あの人の教えてくれたはずの優しい歌は、そのすべての色を失って死んでしまったから。 もう思い出せない。 思い出せない………。 「ナルトくん!」 声をかけられ、歌を止めて振り返る。 そこにいたのは、大切な人を殺した里に暮らす人間。 不健康そうな顔色。 眼の下のクマ。 知っている人のような気もしたけれど、もう分からなくなっていた。 「もう、やめましょう………?」 優しい、柔らかい声に、ピクリと心が動く。 なにをやめろと言うのだろう。 自分はただ歌っていただけ。 あの人の教えてくれた歌を歌っていただけ。 「さあ、こちらへ………」 促され、手を差し伸べられたが、何か違う気がしてそのまま立っていた。 そうする内にその人間はゆっくりと近づいてきて、軽く自分を抱きしめる。 知っているぬくもりの気がした。 けれど、まったく違うもののような気もした。 判断がつかずにジッとしていると、脳髄に針が刺さるようなチクリとした痛みが走る。 危険の信号。 自分は、これで身を守ってきた。 「………っ!!」 突き飛ばそうとしたが力で叶わず、思い切りの力を込めて歌を歌う。 ひるんで外れた腕から飛び出し、元の立っていた場所へと戻った。 いまだ痛みは収まらない。 アブナイ、と警鐘が鳴る。 「だ…れ………?」 頭がイタイ。 とても大切な人の気がした。 けれど、大切なのは亡くしたあの人だけだったはずで。 では、この目の前にいるあの人はダレ? 「だめ…か」 つぶやきと共に、人間の姿が変わる。 片目以外のすべてを隠したその姿を、知っている気がしたけれどやはり分からなかった。 ただ、頭の中にあるのはただ一つの言葉で。 ダマサレタ。 マタ、ダマサレタ…。 モウイイ。 モウイイヤ………。 再び伸ばされる予感のした手に、今まで以上の力を込めて歌う。 すべてを呪う歌を。 すべてを殺す歌を。 優しい歌はもう歌えない。 あの人がいないから。 あの人が、いないから。 目の前で人間の姿が崩れていく。 砂のようにボロボロと崩れていく。 恐ろしい光景のはずなのに、もうそれを恐ろしいと思う心すらも自分の中にはなくて。 ただ、あの人がいない哀しみが絶望として胸に焼き付けられて離れない。 あの人を殺した里に復讐を。 自分の心を殺した里に絶望を。 すべてを。 すべてを呪う歌を。 すべてに。 すべてに、平等なる死が訪れますように。 壊れた心で歌う歌は、けして優しい歌ではないけれど。 けれど、それでもこの歌を止めることはできないままで。 こんな自分をあの人はどう思うのだろう。 けれどもうあの人はここにはいない。 側にはいない。 もう、会えない………。
サア、最後ノ仕上ゲ………
* * *
ゆっくりと。 ゆっくりと、小さな体が倒れていく。 小さな小さな幼い姿が。 ゆっくりと。
飛んだ。
すべてを。 すべてを呪う歌を。 すべてに。 すべてに、平等なる死が訪れますように。
それは呪いの歌。 怖い歌。 けれど、元はとても優しい歌。
すべてを。 すべてを祝福する歌を。 すべてに。 すべてに、平等なる幸が訪れますように。
今は聞こえない。 あの人の、歌。
終 |