不器用な恋人たち
始まりは本当に軽くて。 『来るか?』 その一言に、何も考えずに頷いた。 心を交わさないままに体だけを重ねて。 いつから心まで交わしたくなったのか。 許さなかった口づけを自分から求めて。 シーツを掴むだけだった手を広い背中に回して。 言葉にすることのできない自分の、そんなほんの少しの意志表示を、あの人は気づいて、掬ってくれた。 自分よりも、一回り以上も年上の人。 こりたはずなのに。 大人のあの人が自分の心を隠すなんて簡単なこと。 上忍ともなれば、相手にソレと気づかせないように偽ることも、本当に簡単なこと。 何度抱かれても。 何度言葉を囁かれても。 その事実に変わりはなくて。 愛を告げられる度に泣きたくなる。 嬉しさではなく。 苦しさで。 ごめんなさい、と何度も心の中で繰り返しながら、いつも同じように答える。 『俺もだってば』 そう返す度にあの人が苦しそうな、イラだったような顔をすることも分かっていて。 けれど、それ以外に言葉は浮かばなくて。 縋るように自分を抱きしめるあの人を安心させてあげられない自分が憎くて。 悲しくて。 切なくて。 苦しくて苦しくて。 それでもその暖かな手を放すことはできなくて。 自分があの人にしてあげられるのは、この胸の内にある傷に気づかれないように笑っていることだけ。 それが、ますますあの人を傷つけることは知っているけれど。
* * *
「アスマせんせーっ!」 商店街を少し抜けた通りで、大好きな恋人の姿を見つけてナルトは声をあげた。 声に気づき、アスマが歩みを止めて振り返る。 小さな恋人が追いつくまでそこで立ち止まったまま、優しい笑みを浮かべて待った。 「今、帰りか?」 「うんっ!10班も任務終わったってば?」 「あぁ」 一緒に帰路につきながら、ナルトは身振り手振りで一生懸命に今日あったことを話し続ける。 大きな瞳がきらきらと輝いていて、どれだけ今日という一日が楽しかったかが伺えた。 「んで、サスケってばサクラちゃんに………」 「そいつぁ凄いな」 時折相づちを打つアスマの手に、ナルトはそっと手を伸ばす。 ぎゅっと握られた手の感触に破顔して、軽い体を抱き上げた。 そうされることが好きなナルトのために、アスマはできるだけ互いのぬくもりを感じられるようにと行動していた。 たとえばこうして、抱っこして帰ったり。 膝に抱き上げて巻物を広げたり。 頭を撫でてやったり、手を繋ぐだけでもナルトは酷く喜んだ。 自分では気づいていないのだろうけれど、触れ合っていた部分が離れる時に、ナルトは酷く哀しそうな顔をする。 そのまま二度と触れられることはないのではないかと思っているような、その顔。 そうして、そんな顔を見せた次の瞬間には、必ず、嘘で作り上げた偽りの笑顔を浮かべて、いつも以上にはしゃいでみせる。 そんな態度に気づいていないと思っているのか。 そんなに信じられないのかと詰め寄ってやりたい気にさせられる。 けれど、自分から何も話そうとしないナルトから、無理に理由を聞くことはできずにいた。 成人した大人であるというプライドが邪魔をして、アスマにそうすることを躊躇させるのだ。 結局何も聞けぬまま、今日もナルトの部屋の前に着いてしまう。 「せんせー、送ってくれてありがとうってばよv」 満面の笑みが、それでも泣いているように見えるのはなぜなのだろう。 強がりとは意味の違う笑みに戸惑うのもいつものこと。 その心を覗きたいと思うことは罪なのだろうか。 目の前で笑う子どもを傷ごと抱きしめてやれたなら、楽にしてやれるのか。 何か言おうとして、結局口から出たのは、 「ちゃんと寝ろよ?」 という、当たり前の台詞。 「分かってるってばよ!忍者は体が資本!!」 拳を突き上げた子どもに笑ってみせながら、無理に子どもらしさを出そうとしているその様子にイラついてくる。 なぜ、すべてを見せようとしないのか。 どうして、逃げようとするのか。 聞きたいのに、聞けないでいる自分が歯がゆい。 ともすれば暴走しそうになる激情をなんとか胸に抑え込むことに成功して。 アスマはナルトが部屋に入ったのを確認してから、きびすを返す。 そこでふと、明日から里を離れての任務が入っていたことを思い出した。 が、見上げたナルトの部屋の明かりはすでに消えていて。 明日にでも伝えれば良いだろうと思い、今度こそアスマは帰路についた。
* * *
だが、ことは予定通りに運ばないもので。 予定が狂ったという依頼主の言葉によって、その夜のうちにアスマは里を立つことを余儀なくされた。 ナルトに遠征のことを伝えられなかったことが気がかりだったが、今はもう眠りについているだろう子どもを起こすこともできずに里を出る。 案内人の後を無言で追いながら、アスマが思うのはナルトのこと。 あの、辛そうな…笑顔を、どうすれば変えてやれるのか。 なにが不安なのだろう。 触れていた手が離れるだけで泣きそうな顔を見せる小さな恋人。 守ってやりたいと…何よりも大切にしてやりたいと思うのに、それが叶わずにいる現実。 どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ体を重ねても、自分のこの想いは届いていないのではないかという焦燥感。 笑顔を浮かべながらも、ふいにその瞳を伏せる。 何かに堪えるように軽く唇を噛みしめ、無理な笑顔ではしゃいでみせる。 ナルトにそうさせる訳を知りたくて、けれど怖くて聞き出すことができない。 こんな時、どうすれば良いのかが分からなかった。 相手から話してくれることをジッと待つ以外に、方法を知らない。 いつしか覚えた、恋愛の方法。 つかず離れず、干渉しすぎず、執着しすぎず。 理性でするソレが愛でも恋でもないことに気づいてはいるけれど、寂しさから互いに離れることをしない、ソレ。 けれど、そんな関係を誰かと重ねる度に、昔は知っていたはずの愛し方を忘れてしまっているのか。 何が足りないのか。それが分からないから苦しい。 失いたくないものが、自分の知らないうちに手のひらからこぼれ落ちていくかと思うとゾッとする。 だが、それを止める術が分からない。 だから、怖い。 時折何かを言おうとしながらも、結局は口をつぐんでしまうその仕草が不安を煽る。 なぜ、黙り込むのか。 何も言ってくれないのか。 何が足りない? 自分では信用できないのか。 足りないのは何? 言ってくれるならば、努力のしようもあるというのに。 知らず知らずのうちに見えていたはずの心が閉ざされていき、気づいた時にはもうあの顔を浮かべるようになっていたナルト。 何が悪かったのか。 どこで間違ったのか。 そんな思いばかりが頭を過ぎり、アスマの精神を追いつめる。 それに気づき、アスマは軽く頭を振った。 どれだけナルトの様子がおかしくなろうとも、自分が混乱してはいけないと強く言い聞かせる。 自分が自滅するだけなら良い。 だが、決してあの子どもを傷つけるようなことがあってはならないのだ。 傷つけようという意図を持っての行為を、二度とあの子に与えることがあってはならない。 どれほどの理由があろうとも。 ………決して。 苦い思いを押し込め、アスマは案内人に告げられたターゲットを確認した。 そう難しくもない任務にアスマが赴かされたのは、その依頼自体が仕組まれた感のある怪しいものだったから。 指定されたターゲットが本当に今回の依頼のターゲットなのかを疑いながら、アスマは冷徹な眼で案内人の様子を観察し続けた。
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目覚めた時、外はまだうっすらと明るくなった頃だった。 倒れ込むようにベッドへと身を投げ出したまま眠ってしまったのか。 そんなことを考えながら、ナルトはゆっくりと体を起こした。 ドアの前であの人と別れて。 遠ざかっていく気配を感じたくなくて枕に顔を埋めたまでは覚えている。 …昨夜も、辛そうな顔をさせた。 思い出して、胸が痛む。 笑っていて欲しいのに。 幸せでいて欲しいのに。 自分がそうしてもらったように、あの人を満たしてあげたいと思う。 なのに、実際はどうだろう。 自分はあの人を苦しませているだけなのではないのか。 貰った分の幸せを、同じだけあの人にあげたいのに、それを躊躇ってしまう自分がいる。 信じても良いのか。 また、騙されているのではないのか。 想いを口にした途端、嘲笑われ、捨てられるのではないかと。 そんなことはないと信じたいのに、どうしても信じ切れない。 苦しい………。 こんな自分の態度は別れを早めるだけだと分かっているのに、どうすることもできない。 もう、どうすれば良いのか分からない。 このまま、ただ黙って別れを告げられるその瞬間を待たなければならないのだろうか。 どうすれば信じられるのだろう。 大切な人なのに。 その想いを信じ切れずにいる自分は、あの人を裏切っているのと同じだと告げる自分がいる。 その通りだと思うけれど、どうしても自分から別れを告げることはできなかった。 優しい手。 差し伸べられた暖かなそれを、失いたくなかった。 初めて差し伸べてくれたと思っていた人は、自分の胸に裏切りの痛みを植え付けて、今も平気そうに自分を嘲る。 もしも誰かが愛してくれたなら、すべてをあげようと思っていた。 自分の持っているものは本当に少ないけれど、そのすべてを捧げても良いと思っていた。 なのに。 初めて愛してくれたと思った人は、すべてを差し出した途端に冷たい言葉で自分を拒絶した。 絶望で息が止まりそうになった。 なぜ自分の心臓は動いているのだろう、と。 叩きつけられる言葉は耳を通り過ぎてはくれず、自分は激しく脈打つ心臓を皮膚の上から押さえながらそれを聞いていた。 たったあれだけの言葉で、人は容易に相手の心に致命傷を与えられるものなのだと………知った。 裏切られる痛みを、知った。 傷つくのが怖い。 そう、怖いのだ。 里の人間にどれだけ冷たい眼差しで罵られても平気なのに。 優しかった人のたった一言が怖い。 いや。 愛している人のたった一言が、怖い。 穏やかに微笑むあの顔が、憎しみをむき出しにする様を見たくない。 熱く愛を告げたあの唇が、嘲るように罵倒する言葉を聞きたくない。 望まなければ良かった。 隠したままの自分の一方的な想いだったなら、こんなに苦しまずに済んだのに。 あの人も苦しめずに済んだのに。 なのに、あの人と出会わなければ良かったと思えない自分がいて。 自分から手放すこともできず、告げられそうな別れに怯える。 「………っ」 もう会わない、と告げられる想像をしてしまい、溢れそうになる叫びを抑え込む。 そうすると、心臓をギュゥッと握りつぶされるような痛みが走り、止めどなく涙が溢れてくる。 苦しい。 苦しい。苦しい。 誰か……… 「せんせ…ぇ……っ!」 助けて
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その日の任務も、実力よりも任務をこなす、という、経験を重視したごく単純なものだった。 作業を終了し、カカシが解散を告げた途端にサクラはサスケの腕をガッチリと掴んで、問答無用で引きずっていってしまう。 その後ろ姿を見送り、背後で自分をジッと見つめている相手を意識しないように気をつけながら、そっと歩き出した。 「ナルト」 声をかけられて、ビクリと背中が引きつる。 声を聞いただけで体が震えた。 冷や汗が背筋を伝い、体温が一気に下がる。 「なにを怯えてるの?」 触れられた肩から悪寒が走る。 無意識に手をうち払い、三歩下がった。 何を考えているのか分からないのほほんとした仕草で叩かれた手を振りながら、 「痛いな〜」 カカシが言う。 「そんなに俺が怖い?」 くすっと笑ったその仕草までもが恐ろしい。 知らず呼吸が荒くなってくる。 息が苦しい。 同じ場所に二人きりだと思うだけでまともに息も出来なくなる。 「最近、アスマとつるんでるんだって?」 冷たい手が頬を撫でる。 三本の筋をなぞるように、何度も。何度も。 瞬き一つ出来ず、ナルトは服の胸を掴んで拷問のようなこの時間に堪えていた。 「アイツは、知ってるの?」 聞きたくなくて、きつく瞼を閉じる。 「俺とのコト」 心臓を鷲掴みにされた気がした。 顔をあげられずに視線をそらすナルトを、男は楽しそうになぶる。 「言ってないんだ?へぇ」 くすくすと耳障りな笑いを浮かべ、執拗にナルトの頬を撫でる。 「もしかして、付き合ってるとか、そういうレベルじゃないの?」 帰ってこない答えにイラつく様子もなく、男は続けた。 「じゃあ、アスマの本命はあの美女の方なのかナ?」 「え………」 告げられた言葉の意味が分からずに、反射的に顔をあげる。 そこだけが見えている右目をスッと細め、カカシはマスクの下から告げた。 「アスマ、昨夜からいないでショ?里の外にいるんだよ」 カカシが何を言いたいのか分からなかった。 けれど、昨日会ったとき、アスマは何も言っていなかった。 任務で里を離れる時には、必ず自分に何か一言告げてから行くのに。 「信じられない?」 言葉に、頷く。 何かを考えての行動ではなく、反射的なものだった。 その分、本心が露出していたことは否めない。 「じゃあ、見に行こうか?」 悪魔の囁くその言葉に、なぜ頷いてしまったのか。 後悔してももう遅かった。 差し出された手を久しぶりに取り、ナルトはカカシと共にその場から姿を消したのだった。
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目覚めた瞬間、胸にわき出てきたのは行為に対する後悔と自分に対する嫌悪感だった。 数カ月前までは毎朝目覚めていたはずのベッドが、今は拭いきれない違和感を生む。 うつぶせるように眠っている男の顔を確かめ、昨夜のことが夢ではなかったことを悟った時の絶望感。 眠っているふりをしているのか、本当に眠っているのかはわからないが、とにかく男の腕の中からすり抜け、床に散乱していた服に慌てて袖を通す。 体は昨夜の行為のままに汚れていたが、それにもかまわずその部屋を飛び出した。 『ほら、あそこだよ』 男の声が耳によみがえる。 『嘘じゃなかったでショ?』 目にした光景を思い出したくなかった。 愛しいあの人の手が、別の誰かの肩に回っていた。 とろけそうな目で見つめている綺麗な人に、優しい笑みを向けていた。 「…っ!」 頭を振って、ようやくたどり着いた自分の部屋へと駆け込む。 勢いのままバスルームへと飛び込み、冷たい水が湯に変わるわずかな時間も待てずに頭から全開で受ける。 はぁはぁ、と肩で継ぐ息がやけに遠くに聞こえた。 水を吸って重くなった服を脱ぎ捨て、徐々に湯へと変わってきたシャワーの下、ナルトは狂ったように自分の肌を擦り続ける。 「………い、……ない」 あまりに擦られ続けた肌が、赤くなって痛みを訴えてくる。 それでもナルトはやめようとしなかった。 「…たな………」 『本当にいやらしいよネ、お前』 囁かれた言葉がよみがえってくるのを、頭を振って払う。 けれど、吹き込まれた毒を含んだ言葉は、次から次へとあふれ出してくる。 『誰だって良いんでショ?…だって、こんなになってるんだから』 『最悪な淫乱だね』 『俺にこんなに汚されたお前を見ても、アスマは受け入れてくれると思う?』 あざ笑う男の声までが耳に残っていた。 「きたない………汚い………っ!!」 あの男に触れられた部分すべてが薄黒く変色したような錯覚を覚える。 それほど、ナルトは昨夜の行為を嫌悪していた。 自分はあの人に捨てられたのに。 それも、手ひどい方法で打ち据えられたのに。 なのに………
自分の体は、あさましくあの男を飲み込み悦んだ
慣らされた体は、与えられる快楽を拒むことができなかった。 その事実だけがナルトの心を今も切り刻み続ける。 逃避するように脳裏に蘇ったのは、悪夢のような光景。 美しい、あの人にふさわしい、綺麗なヒト。 まるでそうあるようにと運命とか、神様とか、目に見えないものによって選ばれたように自分の目に映った、光景。 信じられずにいたと思っていたのに、いつしか自分はアスマのことを信じていたのだろうか。 アレを見た瞬間、自分の中に現れた感情は、「裏切られた」という激情。 信じていなかったはずなのに、裏切られたと感じるとはどういうことだろう。 信じ切れずにいたから、あの人をあんなにも苦しめていたのではなかったのか。 信じたいと思っていたから、あんなにも自分は傷ついていたのではなかったのか。 こんな形で、自分がアスマを信じていたという事実を突きつけられたくなかった。 知らなければ良かった。 気づかなければ良かった。 そうすれば、もう少しの間だけでも幸せでいられたのに。 来るかもしれないが、来ないかもしれない別れの予感を感じているだけで済んだのに。 こんな。 こんな形で………。 「きたない………」 擦っても擦っても、カカシに触れられた感触が拭えない。 『俺にこんなに汚されたお前を見ても、アスマは受け入れてくれると思う?』 「きたない……っ」 『こんなに汚されたお前を見ても………』 「きたない………っ!」 『汚された……』 「きたな………っ!!」 擦りすぎた肌は、すでに血を滲ませていた。 それでもナルトが手を止めることはなかった。
続く |