アイトイウオモイ

 

 

 

 

 アスマがソレを見つけたのは、偶然のことだった。

里の男が、同僚であるカカシに何枚かの紙幣を手渡していた。

受け取ったカカシはメモのような紙切れを男に渡し、姿を消す。

何かの任務だろうかとも思ったが、任務を遂行した里の忍が直接依頼人から報酬を受け取ることはない。

取引の任務と考えられなくはなかったが、里の内部でそんな任務が行われるわけもないだろう。

歩き出した男を、ちょっとした好奇心で追いかける。

路地裏から出た男は、商店街を抜け、人気の少ない道を歩いていく。

ここから先には、もう民家も殆どないはずだ。

あるのは、カカシの班にいる、呪われた運命を押し付けられた子どもの暮らす家だけだ。

そこまで考えて、アスマはハッとした。

いやな予感が頭を過ぎる。

案の定、男はたどり着いた家に入っていった。

迎え入れた金の髪の少年は、普段の彼からは想像も出来ないような無機質な表情で扉を閉める。

澄ました耳に聞こえるのは、微かな衣擦れの音。

家の中で行われている行為を察して、アスマは舌打ちした。

男がカカシに金を渡していたということは、この元締めがヤツだということだろう。

一体どういうつもりなのか。

ナルトの担任になった時に、あの子どもが九尾の器だということは事前に知っていたはずだ。

復讐………その言葉が頭を過ぎる。

お門違いなソレにイラつき、懐から煙草を一本取り出して口にくわえた。

そんなことをするぐらいなら、元から担任など引き受けなければ良かったのだ。ただでさえ里の人間に忌み嫌われている子どもに、追い打ちをかける必要もないだろうと思う。

辛そうな子どもの声を耳にして、それ以上聞いていられなくなったアスマは、事の真相を問いただすために姿を消したのだった。

 

※       ※       ※

 

「おい。お前、一体何やってんだ」

上忍の詰め所である人生色々でカカシの姿を見付けたアスマは、前置きを一切省いて詰め寄る。

「何が」

分かってやがるくせに、とアスマは舌打ちした。

「すっとぼけてんじゃねぇぞ。ありゃ、一体何のマネだ。良い趣味とは言えねぇだろ」

「ああ」

漸く理解したとばかりに頷いたカカシに、イラつきながら顎をしゃくる。

ゆっくりと立ち上がったカカシを追い出すようにして、不思議がる同僚達に背を向けた。

二人切りになった途端に、カカシの顔からいつもの飄々とした表情が消える。

「で?」

「で、って…お前なぁ!自分の班の生徒に売春させるなんて、一体何考えてんだ!」激昂するアスマに、カカシはいたく冷静な態度で向き合っている。

「何考えるって………それは俺があの子に聞きたいくらいだヨ」

冷めた隻眼がアスマの姿を映している。

だが、その瞳には一切の感情が映っていなかった。

「お前………」

続けるべき言葉を失い、アスマは口ごもる。

「あの子が俺に言ってきたんだよ。俺が、情報が欲しいって言ったら、自分が聞き出すから、ってね」

予想外の言葉に、一瞬思考が止まった。

アレは、売春などという軽いものではなかった。

目の前の男は、自分の生徒を諜報の道具として利用していると言ったのだ。

ターゲットに悟られることでもあれば、確実にあの少年は命を落とすだろう。

なのに………

「復讐、か?」

アスマには、そうとしか考えられなかった。

だが、カカシは不思議そうに首を傾げる。

「復讐………?そんなモンじゃないよ。まあ………そういう気がまったくなかったワケじゃないけどね」

アスマの口から煙草を奪い、自分の唇にくわえる………たったそれだけの行為が、何故か酷く官能的に見える。

「あの子はね、俺に好かれたくて必死なんだヨ。バカな子だよねぇ。そんなことしたって無駄なのに」

喉の奥で笑ってみせ、眉一つ寄せずにくわえていた煙草を握りつぶした。

ジュゥッと肉の焦げる音がする。

「あの子はねぇ、随分昔から里のゲス供に好き放題されてたのさ。あの年で立派な淫乱だ。一晩だって男なしじゃいられない」

開かれた掌から潰れた残骸が地に落ちた。

カカシの表情は変わらない。

逆にアスマは、顔色を失っていた。

「あんまり可哀想だから抱いてやったら、何を勘違いしたのか懐いてくるようになったんだよ」

言ってみた時には、本当にただの思いつきだった。

丁度転がり込んできていた長期の任務。

そう難しいものではなかったが、時間だけはかかるという最悪な類のもの。

報酬は少ないのに手間ばかりがかかるソレをどうしようかと思っていた時、ふいに九尾を腹に抱えた子どもが声をかけてきた。

無邪気に手伝うと言い出した子どもは、任務の内容を聞いてもやめようとはしなかった。

やめる、という言葉を予想していたカカシは、随分と興ざめした。

青ざめてやめると言い出す子どもを、どんな風に丸め込んでやろうかと思っていたのに、あっさりと頷かれたからだ。

それどころか、代わりに週一度抱いて欲しいとねだられた。

九尾の器など抱きたくはなかったが、一度してしまったのだから二度も三度も同じだという気になって頷いた自分も自分だと思うけれど。

「だから、あれはあの子が自分で望んでやっていることだとでも?」

アスマの言葉に、カカシは悪びれず頷く。

「話はそれだけ?もう帰ってもイイ?」

無表情だった瞳が、普段通りの眠そうな半目に戻っていることに気付いて、アスマは舌打ちした。

動揺した自分がバカみたいに思えてくる。

よくよく考えてみれば、自分には関係のないことだ。

利用したりされたりというのは忍の間では日常茶飯事だというのに、どうしてあんなにも頭に血が上ってしまったのだろうとアスマは考える。

それは多分………

 幼い肩が震えていたから。

 澄んだ瞳が硝子のように光をなくしていたから。

 そして何よりも、あの子の声が耳から離れないから。

子ども特有の高い声が蘇る。

艶を含んではいたが、辛そうな声。

助けを求めたいのに、その術を知らないのかと胸が痛くなるような………

やめよう、と首を振った。

これ以上自分が考えたところでどうしようもないだろう。

ジッと己の手を見つめて、思う。

この手は、あの子を抱くためにあるわけではないのだから。

 

※       ※       ※

 

忘れよう、と思った途端に会ってしまうというのはどうだろう。

アスマは神などというものを信じたことはないが、今回ばかりは空の上で笑っているだろうソレを恨めしく思う。

任務を終えて帰ってきてみれば、家の前に小さな影が一つ。

近づいていく度にはっきりしていくその姿に、頭を抱えた。

ふわふわの金髪が夜風に揺れて、その手触りを思い出させる。

「おい」

声をかけると顔を上げて笑った。

だが、その笑顔はどこか作りモノじみていてアスマをイラつかせる。

「アスマせんせー」

普段とは違う様子のナルトを追い返すわけにもいかず、アスマは家に上がるよう促した。

大人しくソファに座っているナルトに温めたミルクを渡してやり、自分も向かい側に腰掛ける。

「どうしたんだ?」

問いかけてみるが、いっこうに話そうとしない。

ただ、時折何か言いたそうなそぶりをしては、また口を閉じてしまう。

アスマはナルトが話し出すまで根気よく待ち続けた。

カップの中のミルクを飲み干したナルトはふいに立ち上がると、ゆっくりとした足取りでアスマの側まで歩み寄り、その足元に座る。

不思議に思ったが好きなようにさせていると、おずおずと小さな手が伸ばされ、アスマのズボンのチャックを下げ始めた。

「うわっ、おっ、おいっ!」

止めようとするが、それを許さない速さでナルトは直に触れてきた。

「くっ………」

何も言わず、突然アスマのそれに舌を這わせ、ナルトは幼い外見に似合わぬ技巧で煽っていく。

根元から先端までを舌で繰り返し舐め上げ、先端部分を軽く吸う。

小さな赤い舌を突き出して上目遣いにくびれを舐められた時には、思わず欲望のままに目の前の子どもを襲いそうにまでなった。

だが………

「やめろ!」

肩を掴んで引き剥がすと、驚いたように碧の瞳が見開かれる。

「なんで?俺、だめだった?ヘタクソだった?」

かなり動揺した様子で泣き出しそうになる子どもを抱き寄せ、ソファの上に押し倒す。

小さな体はすっぽりとアスマの腕の中に収まり、きょとんとした瞳が不思議な色を湛えている。

ああ、とアスマは唸った。

もうだめだ、と。

捕まってしまったのだ。

この、小さな子どもに………

「せん………っ」

先生、と呼ぼうとしたのだろう唇を口づけで塞ぐ。

深く合わせ、狭い口腔をたっぷりと舐め回した後、怯えて引っ込んでしまった舌をつついて誘い出す。

「ん………っ」

戸惑いながらも差し出されたそれを甘噛みし、チュッと音を立てて吸ってやった。しっかりとしがみついてくる手が微かに震えていることに気付いて、こんな時だが微笑ましい気分になる。

口づけを終えた後もじっと眼を閉じているナルトの髪をそっと撫でた。

閉じられていた碧の瞳が、戸惑いを浮かべて自分を見上げる。

「なんで………」

「ん?」

疑問を口にするナルトに、アスマはそれ以上先に進もうとしないまま問い返す。「なんで、キスしたの?」

その言葉に、アスマは驚きを隠せない。

何を今更、というのが本音だった。

カカシとも、他の男とも体を重ね、今更キスの意味を問うことをするのはどうしてだろう。

だが、聞かれた質問をはぐらかすことは、今目の前にさらけ出されているこの子どもの素顔を隠してしまいそうな予感がした。

だから、精一杯の想いを込めて囁く。

「お前が、俺にとって、大切な人間だから、だ」

一つ一つの言葉の意味を噛みしめるように、アスマは告げた。

一瞬ナルトの瞳が大きく見開かれ、その言葉の真意を問うためにアスマの瞳を覗き込む。

返された視線に偽りの影はなくて。

ツキンッと胸が痛んだ。

この人は知らないのだ。

自分がどれだけ汚れているのか。

自分が、どれだけ醜い存在なのか。

何人かなんて数えたことはない。

けれど、幼い頃から確かに自分は男達の欲望をこの体で知ってきた。

愛などなくとも、犯すことはできる………それが男。

刺激されれば反応するし、突っ込んでしまえばどれだけ大義名分を並べたてたとしても、ただ獣のように欲を吐き出すだけ。

いや、獣の方がまだマシかもしれない。

獣は欲情と快楽のためだけに交わるわけではないだろうから。

そうすることに疑問を感じることもない………男に、しかも年端もいかない子どもに対して凌辱という手段を選ぶ男達を、ナルトは酷く冷めた眼で見てきた。

異常なのは………狂っているのは自分達の方なのだと気付いていない、惨めで、哀れで、自分にそう思われているとも思っていない、醜いケダモノ。

けれど。

けれど、とナルトは思う。

その男達に犯されて悦んでいる自分も、また醜い存在なのだ。

それを、カカシとの情交でナルトは痛感していた。

カカシが自分の監視役だということは知っていた。

イルカがそうであったように、カカシもまた、火影の息のかかった人間だろうということは簡単に想像できる。

ただ、あの上忍はイルカと違って、決して情には流されないだろうから。

安心できた。

なれ合いは、嫌いじゃないけど好きじゃない。

イルカのことは好きだけれど、あの純粋な人に自分の欲望を見せるのは酷な気がした。

大切な人。

初めて、自分を守ってくれた人。

けれど、ずっと、一生、一緒にいて欲しいとは思わない………思えない。

自分の欲望を知られて、嫌われるのが………恐い。

自分の中にあるソレは、イルカが持っているモノとは相いれないということを、ナルトはよく理解していた。

イルカは、体を重ねることを神聖視している。

大切な人と、愛を確かめ合う………それが、あの行為の意味だと思っている。

けれど、ナルトは違うのだ。

自分はただ、痛みが欲しいだけ。

それによって得られる、生きているという実感が欲しいだけ。

人肌が恋しいだけ。

全てを忘れられる一瞬が欲しいだけ。

何よりも、ナルトには『愛』が分からない。

相手は誰でもかまわない。

その思いは、一度カカシと寝てますます強くなった。

男の本性が醜いケダモノだという確信と一緒に、自分もまた、醜いケダモノの一人なのだと気付かせた人。

恨んではいない。

憎んでもいない。

ただ、その快楽は手放し難かった。

カカシの依頼の話を聞いた時に、しめたと思った。

これを理由に、少なくとも任務終了まではあの快楽を得られると思った。

心は欲しくない。

義務的に、定期的に、ただ快楽が欲しいだけ。

だが、それをカカシに知られるわけにはいかなかった。

あの男は、九尾のことで自分を憎んでいるはずだから。

快楽が欲しいと素直に口にすればソレは与えられないだろうし、心はいらないと知られればすぐに関係を断たれる恐れがあったから。

自分を隠すことは簡単なこと。

自分はそうやって生きてきたから。

カカシには、一生側にいて欲しかった。

カカシの手でこの命が潰されるその瞬間まで、快楽だけで自分を慰めて欲しかった。

それくらい望んでも罰は当たらないだろう。

憎んでいた九尾をその手で殺せるのだ。

しかも、裏切ってやったという優越感を同時に感じることができるというおまけ付き。

これなら、自分もカカシも望んだものが手に入る。

そう思った。

そう思っていたはずなのに………

「ナルト?」

何も言わないナルトを訝しげにアスマが覗き込んでくる。

この上忍に「大切」と言われた時、自分はどう感じただろうか。

嬉しい、と感じたのではないか。

けれど同時に、イルカに対するものと同じ思いを抱いたのではないか。

そして、巻き込んではいけないと…そんな風に想ってもらう価値は自分にはないのだと思ったのではないか。

だから、ナルトはそれを口にした。

「俺が今日ここに来たのは、アスマ先生が見たこと、黙っててもらうためなんだってば」

話さないでいるつもりだった、ナルトがここに来た理由。

カカシから、アスマに見られたという話を聞いて、遠回しに口止めを要求された。カカシと同じように下忍の指導に当たっているから、名前と顔だけは知っていた相手。

火影に報告されると、きっとカカシと引き離される。

それだけは避けたかった。

男を懐柔するのは簡単………そう思っていたのに。

突然の告白に、心が揺れた。

そのことに、隠しきれないほどの動揺と恐怖を感じた。

自分の中の何かが暴かれそうで恐かった。

アスマの大きな手が、ナルトの金の髪をそっと撫でる。

繰り返し………何度も、何度も。

「お前が、好きだ」

とどめの一言に、ナルトは溢れ出すものを堪えきれなかった。

見開かれたままの瞳から流れ落ちる涙が、頬を濡らしてゆく。

そんな風に言ってくれた男はいなかった。

いらないと思っていたたった二文字の言葉は、ナルトの硬い殻を突き破ろうと激しい衝撃を与えてくる。

未知の感覚に、本能的にナルトは怯え、混乱した。

「俺………キスされたの、初めてだってば………」

呆然と呟いたナルトの言葉を、アスマは聞き逃さない。

「じゃあ、俺が初めてだな」

軽く笑んで、口づけが涙を拭った。

そのあまりの優しさに、ナルトはますます混乱してくる。

自分が欲しいのは、快楽だけ。

アスマに抱かれるのは、口止めのため………ただそれだけ。

なのに、どうしてこんなにも心が揺さぶられるのだろう。

 体だけ抱いて欲しい。

 心まで持っていかないで。

自分が何のためにここにいるのか分からなくなってくる。

けれど与えられる口づけは優しくて………心地よくて………。

それだけがハッキリしている中、ナルトは初めて、『愛される』行為をアスマの腕の中で知った。

 

※       ※      ※

 

薄暗い部屋の中で、キシキシと二人分の体重を受け止めたベッドが鳴る。

それに合わせて、小さな、うわずった高い声が啼く。

「も………あ、ぁ………っ」

先程まで見せていた偽りの顔を捨て、ナルトはただ夢中でアスマの肩に手を伸ばした。

与えられる快楽が大きすぎて。

経験したことのない快楽の深淵へと引きずり込まれ、助けを求めるように手を伸ばす。

ナルトの内へ入ったまま、アスマはその手を取ってやり、指を絡める。

「きついか?」

囁かれ、軽く耳朶を噛まれた。

涙で濡れ、潤んで揺れる瞳がアスマを見上げる。

「………じょ、ぶ」

頼りなく紡がれた言葉に堪らない愛しさを感じ、口づけた。

アスマのキスに慣れた唇が、吸われすぎてぽってりと赤くなっている。

そこから洩れる熱い吐息が、またさらに情欲を掻き立てるのだ。

やりすぎている自覚は、ある。

だが、止められないのもまた、事実で。

細い腰を抱き寄せ軽く揺さぶると、一瞬正気を取り戻していた瞳が、またけぶるように霞んだ。

きつくアスマの手を握りしめ、その甲に爪を立てる。

「ぃ………あ、あぁ………っ」

喉の奥で潰すようにして喘いだナルトが、もう幾度目とも分からなくなった絶頂を迎えた。

その収縮を楽しみながら、アスマはナルトの息が整うまで、額や肩にキスを繰り返して待つ。

ナルトの中の衝撃が収まるのを待ち、ゆっくりとまた抽挿を始める。

そうしてもう、どれだけの時間が経ったのだろうか。

ただ体を交えるだけなら、ここまでする必要はない。

分かっている。分かっているけれど………。

離れたくなかった。

離したくなかった。

この時間を終わらせてしまえば、二度と手に入らない幸福だと思うから。

お互いがそう感じ、限界を超えて混じり合う。

ナルトはもう、下肢の感覚がなくなっていた。

アスマはもう、堪えているのも限界にきていた。

なのに、それを口にしようとはしない。体を離そうとしない。

絡めた手を離さないように。

きつく、きつく握りしめて。

心中しようとしている恋人たちのようだ、とアスマは思った。

明日には失われてしまう互いの温もりを、死してもなお覚えておけるようにと貪り続ける。

死んでも。

生まれ変わっても。

覚えていられるようにと。

祈りながら体を重ねる。

 

今度こそ幸せになれるようにと。

 

 

 

 

 

※       ※       ※

 

傍らで眠るアスマを、ナルトは今までにない気持ちで見つめていた。

二人で、気絶するように眠り込んだのが、もう日が昇り始めた頃。

半日近く交わっていたのかと思うと、あまりの自堕落さに目眩がしてくる。

起き上がろうとしたが、しっかりと腰を抱かれていてそれが出来ない。

こうして、自分が目覚めるまで抱き締めていてくれる人は初めてだった。

カカシは気付けば帰ってしまっていたし、他の男たちは元からさっさと帰っていく。

好きだと………囁かれたのも初めてだった。

それ以上に。

『愛している………』

思い出して、赤面する。

本人は言ったことを覚えているのだろうか、と疑問に思うくらい、うわずった甘い声で。

低い、しっかりとした声が掠れ、何よりもこの行為が荒淫であることを物語り、けれど離したくはないという情熱を伝え、優しさだけが愛ではないのだとこの体に執拗に刻みつけ………。

ナルトが思っていた以上に、良い意味でアスマは俗物だった。

想いだけで情交に及ぶほど清くはなく、かといって衝動だけで少年を抱くほど獣でもなかった。

男らしい薄い唇に、伸び上がって自分から口づけてみる。

ジンと滲むような感情が胸に広がり、何故か涙が溢れた。

「あ………」

頬を伝う滴に驚き、慌てて眼を擦る。

けれど止めどもなく溢れてくるそれを、ナルトは後悔、と名付けた。

アスマと………してしまったことに対する、後悔。

汚してはいけないものを、自分の手で汚してしまったような後味の悪さと。

触れてはならないものに、触れてしまったような恐ろしさと。

知ってしまってはならないものを、知ってしまったような後ろめたさと。

それらは、昔感じた『後悔』というものと、とてもよく似ていたから。

必要以上の交わりを、アスマと交わしてしまった…後悔。

理解しがたいこの胸の痛みは、ただそれだけのことなのだと。

 

………嘘。

 

心のどこかで、そう囁く声がするけれど。

今のナルトに、その声の意味は分からなかった。

 

 

※       ※       ※

 

アスマが目覚めた時、腕の中にいた筈の子どもは既に姿を消していた。

ベッドに起きあがり、煙草を一本口にくわえて………捨てた。

『なんか、苦いってば』

昨夜、そう呟いた声が蘇ったからだ。

どれほど女に言われても止めなかった煙草を、ナルトのたった一言で止めてしまえる自分が、アスマはおかしかった。

「完全にイカれちまったか」

呟いて、勢いよくベッドから降りる。

簡単にシャワーを済ませて、いつも以上に身なりに気を配って家を出た。

愛しいあの子を迎えに行くために。

 

※       ※       ※

 

アスマの家から帰って、ナルトは自分の部屋でボーッとしていた。

ベッドの上で、自分の体を見下ろして。

タンクトップ一枚になった自分の胸や腹に、赤い、虫に刺されたような後が幾つも散っている。

初めは分からなかったソレがキスマークだと気付いた時の恥ずかしさを、どう表現すれば良いだろうか。

鏡を使って肩や背中も見てみたが、そこにも数え切れないくらいの跡が残っている。

歯形や擦り傷なら、いくらでも付けられたことがあるけれど、こんなにも執着の跡を残されたのは初めてだった。

そこで、もう一つ思い出す。

起きた時には、自分の体は綺麗に拭われていて、下肢の後始末までしてあった。腰はだるいし、関節は痛いし、後ろの違和感はまだ取れないが、それでも乱暴されたという気持ちはなかった。

あの行為が、「愛される」行為であったことを、ナルトは体で理解する。

トクンッと心臓が小さく跳ねた。

そっと自分の胸を押さえる。

黒いタンクトップの隙間から、幾つもの赤い花びらが散っていた。

この一つ一つに、昨夜、あの教師が執拗に口づけていたのだ。

頬が熱くなった。

今更ながら恥ずかしいという気持ちが溢れ、たまらなくなる。

どれだけの男に凌辱されても揺らがなかったこの心が、一人の男に愛されただけでここまで不安定になるものなのか。

愛された………。

「あ…い………」

呟き、その言葉を噛みしめる。

理解できなかった、その言葉の…意味。

分かるわけがないと思っていた。一生、理解することなどないと。

なのに………

『愛している』

『愛している』

「愛して………」

無意識に口にしてハッとした。

「愛して………る?」

その言葉が、アスマから与えられたものではないことに気付いて呆然とする。

「愛してる………」

何度も、繰り返して口にするその、言葉。

胸の奥から溢れ出してくる甘さに、ナルトは知らず微笑みを浮かべた。

「せんせー………」

柔らかい羽根枕をギュッと抱き締め、とろけるような甘えた声で…囁く。

「………愛してる」

ここにはいない、愛しい人に。

 

 

 

※       ※       ※

 

心と体に甘い陶酔を抱いたまま眠り込んでしまったナルトは、ふいに頬に触れる感触に眼を覚ました。

「起こした?」

傍らに腰掛け、自分の顔を覗き込んでいる相手がカカシだと知って安心する。

昔、目覚めたら見知らぬ男にのしかかられ、首を締められていたことがあるからだ。

その時は偶然イルカが訊ねてきてくれたお陰で助かったが、あのまま誰も気付かぬままだったなら今頃ナルトは土の下で永遠の眠りについていたことだろう。

以前はそれでも良いと思っていた。

大切なものが何一つなかったナルトにとって、生も死もあまり違いはなかったのだ。

ただ、自分が死ねばイルカが哀しむかもしれない、と。

それだけで死よりも生を選んでいただけのこと。

けれど、今は違う。想う相手がいる。

自分から伝えるつもりはなかったが、求められた時に答えるぐらいの気持ちはあった。それを告げる前に死を迎えることだけは避けたかった。

だが、そこでハッとする。

カカシが自分を憎んでいる人間だと失念していたことに気付いたからだ。

違ったら良い。

しかし、一度現れた浮かんでは消える疑問を、完全に殺すことはできなくなる。

いつかくるだろうその日が、今日だったらどうしよう、と。

知らず、体が震えてくる。

「どうしたの?」

触れられた手に、体が過剰に反応した。

大きく跳ねた体に手を引いたカカシは、自分を見上げてくる碧い瞳に恐怖の色が混ざっていることに気付く。

一瞬にして、頭に血が上った。

出会ってからこの瞬間まで、ナルトは一度もカカシに対して『恐怖』を示したことはなかった。

初めて抱いた時も、手荒に犯した時も、任務の話を持ちかけた時も、だ。

だからこそカカシはナルトに執着したのである。

無邪気に。

けれど狡猾に。

自分を誘惑せしめたあの無感動な少年が、今は何か異様なものを見るような瞳で自分を見つめている。

かつて暗部にいた頃のターゲット達のように。

木の葉の忍達のように

里人のように。

いつも向けられるその視線を、今まで忌々しいと思ってはいたが、仕方がないとも思えた。

これほどまでに、その視線にイラつかされたことはないというのに。

何故、この子どもの中に自分への恐怖心があるということに、怒りを感じるのか。理由は分かっている。

単純なことだ。

自分が………この子を愛しているから。

いつからかなど覚えていない。

初めて出会った時には、確かに憎しみしかなかった感情が、いつしか変わってしまった。

アスマに気付かれた時には、もうハマッていたことだけはッキリしている。

他の男にナルトを差し出しては、その相手を葬る日々。

おかしい。

こんなはずじゃなかったのに。

そればかりが頭を過ぎりながらも、やめようと言い出すきっかけも与えられぬまま自分から別の男に愛しい子どもを斡旋した。

けれど結局は嫉妬に堪えられず、ターゲットを手にかける。

 その手であの子に触ったの?

 その口であの子にキスしたの?

 俺は許されないのに………

 あの子に口づけることは、俺には許されていないのに………

憎悪に近い嫉妬で、そうする必要のないターゲットを手にかける。

自分は………狂っているのだ。

分かっている。

分かっているが、どうしようもないこともまた事実で。

頭の中を巡る思考に、カカシは頭を振った。

おかしくなりそうだった。

この、どうしよもなく暗い思いを忘れるために、カカシはナルトに手を伸ばす。

抱いている時だけは心が安らぐのだ。

繋がっている間は、確かに少年が自分のものだと感じることが出来るから。

だから今日も、カカシは手を伸ばした。

怯えを滲ませる瞳を不快に思いながらも、手放せない自分を自嘲しながら。

だが………

「ナルト?」

いつものように上着に手をかけたカカシの手を、ナルトは無意識のうちに止めてしまっていた。

本人が意識していたわけではないのだ。

ただ、いやだ、と咄嗟に思ってしまっただけで。

「せ、せんせー。今日は、やめようってば」

ごまかすように笑みを浮かべ、ベッドの上を後ずさる。

「どうして?」

スッと細められた眼が、別の人間かと錯覚させるほどに冷たい。

目の前の男が恐ろしかった。

知らない誰かのようで。

里の人間に向けられるような殺意や憎悪や嫌悪が滲んでいるわけではない。

むしろ、その瞳は無感情で無表情だった。

だからこそ、底知れぬ恐ろしさを感じずにはいられない。

「い………やだって………ば………」

ゆっくりと伸ばされる手が恐い。

触れられたくなかった。

この手に。

愛されたこの体を、その冷たい手で触れられたくなかった。

「ナルト?」

「やっ!!」

思わず、その手をはじき返してしまう。

「あっ………」

自分のしてしまったことに気付き、続いてカカシの顔を見て青ざめた。

「っ!」

首を一掴みにベッドへと押し付けられ、上から体重をかけるように締められる。

「ぐっ………ぅ」

酸欠でグッタリしたナルトの上着を、首を押さえているそれとは逆の手ではぎ取られた。

暗闇の中、月の光に浮かび上がる、子どもの白い肌に残された、ソレ。

「コレ、誰につけられたの?」

その一つ一つを指で辿りながら、いちいち爪を立てていく。

「いた………カカ………せん…せ………たい………っ」

弱々しい訴えも無視して、カカシはやんわりと手に力を込めた。

「こんなに、誰に………誰が………」

中途半端に締め上げられた喉がヒューヒューと音を立てる。

息苦しさと爪を立てられる痛みとで、意識が段々朦朧としてきた。

このまま、ずっと待ち望んでいた筈の瞬間が訪れるのだろうか。

 

………イヤだ。

 

まだ、何も伝えていない。話せていない。

自分から想いを伝えるつもりはなかったけれど。

愛されることを教えてくれたあの人に、せめて「ありがとう」ぐらいは伝えたかった。

首を締めている手に、残りの力を振り絞って爪を立てた。

「せん………せ………………」

無意識に伸ばされた手が、必死に差し伸べられる。

だがそれはカカシにむけられたものではなく………

会いたい。

あの人に。

初めて愛してくれた人に。

初めて愛されることを教えてくれた人に。

初めて愛することを教えてくれた人に。

 

………会いたい。

 

「ア………」

肺の底から絞り出すようにしてその名を呼ぶ。

目の前が霞み、意識が遠のき始めたその時だ。

「っ!てめぇ!何血迷ってやがるっ!」

ガツッと骨のぶつかる音がして、体の上から重みが消えた。

「ナルト?!おい、ナルトっ!眼ぇ開けろ!!」

ピタピタと頬を叩かれるが、感触がするだけで少しも痛くない。

愛しい人の声に答えたいのに、締められていた喉は自発的に呼吸を再開することが出来ずに固まったままだ。

薄らいでいく意識の中で、一つだけ………一つだけ、どうしても伝えたかった。

好きだ、と。

だが、それを言葉にするよりも先に、ナルトの意識は闇に飲まれてしまったのだった。

 

※       ※       ※

 

突然ぐったりと力無く投げ出された小さな体にゾッとする。

「おい、ナルト!」

慌てて人工呼吸を施す。

心臓が止まっていないことに勇気づけられ、アスマは口移しでナルトの肺に空気を送り続けた。

「………ゴホッ!」

ゴホゴホと立て続けに酷くせき込んだ後、漸く意識を失った幼い体が自発的に呼吸を始める。

ゼェゼェと 荒く息を継ぐナルトの背中を繰り返し撫でてやりながら、アスマは壁によりかかったまま俯き、うなだれているカカシに眼をやる。

「いくらお前がコイツのことをモノみたいに思ってるからって、コイツぁやりすぎだぜ」

眉を顰めたまま意識を失っているナルトの体にシーツを手際よく巻き付け、アスマは大切な宝物をそうするように抱き上げた。

「………モノだなんて、思っちゃいないよ」

うずくまり、片膝を抱えて俯いたままカカシが呟く。

「復讐なんて、もうどうでもよかったんだ。ナルトが手に入れば、それで良かったのに。いや、手に入らなくても良かった。他の誰のものにもならなければ。なのに………」

虚ろな瞳で、自制のきかない子どものようなことを言うカカシに、アスマは深く溜息をついた。

「コイツを手に入れたきゃ、好きだって言って抱き締めてやりゃ良かったんだ。ただ、抱いて、口づけして、愛してるぜって言ってやれば」

カカシは答えなかった。

アスマはそれ以上何も言わず、ナルトを抱いたまま踵を返す。

「その子………お前のなのか………?」

背中に投げられた言葉に「さあな」と答え、今度こそその場を離れる。

プロポーズしに来てみれば、とんだ所に出くわしてしまった。

だが、もう少し遅れていたらと思うとゾッとする。

間にあってくれて良かったと、アスマは愛しい命を抱きながら心の底から、信じていなかった神に感謝を捧げた。

 

※       ※       ※

 

昨夜ナルトを抱いたベッドに、今だ掠れた呼吸を繰り返す子どもを寝かせる。

白い首に残る生々しい手跡に、アスマは眉を顰めた。

ふと思いだし、ベッドの下に置いている薬箱を取り出す。

その中から痣などに効く薬の瓶を手に取り、箱をベッドの上に置く。

中の塗り薬を指に取り、眠る子どもを起こさないように気をつけながら赤い跡に塗っていく。

その仕草はアスマに昨夜の情交を思い出させ、その度に自分のケダモノさ加減に呆れながら苦笑した。

楽にさせようと上着を脱がせようとして、そこで初めてナルトの薄い胸に小さな掻き傷があることに気づく。

それ等は全て昨夜自分がナルトの胸に散らした跡の上に付けられており、改めてカカシのナルトへの執着の強さを伺わせた。

もう二、三発殴っておけば良かったかと物騒なことを考えつつも、今度は別の薬瓶を薬箱から取り出し、一つ一つに丁寧に塗り込んでいく。

寝息をたてることもなく、ただ横たわっているナルトを見ていると、本当に息をしているのかが不安で仕方がない。

大丈夫だと分かっていても、幾度も脈を調べ、呼吸を確かめた。

傷の手当を終えるとすることがなくなり、アスマはぼんやりとナルトの顔を見つめる。

気を失う直前、自分を認めたナルトは、何かを伝えようとしていた。

何を言いたかったのかは分からなかったが、伝えよう、という意志は感じとれた。起きたら、そのことを聞いてみようと思う。

だが、その前に。

「断られても諦めるつもりはねぇが………」

愛しいこの子に、どうにかしてプロポーズをOKしてもらわねば。

心配げに何度もナルトの様子を確認しながらも、アスマはまるで冬眠前の熊のように大きな体を心持ち丸めてベッドの横を彷徨き続けたのだった。

 

 

 

 

アスマの断られるかもしれないという心配は杞憂で。

精一杯の誠意と愛情を込めたプロポーズは。

愛しい子どもの小さな頷きと、微かな「愛してるってば」という言葉で。

見事、成就するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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