溺愛ルール
うずまきナルトの子供時代は決して幸せなものではなかった。
里を壊滅寸前にまで追い込んだ、九尾を宿した子供は里の憎しみを一身に受けて育った。
普通の子供なら、耐えられない環境だったかもしれない。だがナルトの身に封じられていた九尾のおかげで、何度も命を取り留めた。それは、ナルトにとって幸せだったかはわからない。
命が危険にさらされたのは、何も暴力だけではなかった。ナルトの日常は決して安全とは言えなかった。
例えば食事。一日に一度火影の命令でナルトに食事を運ぶものがいた。味や盛りつけはどうあれ、食べられるものが運ばれてくるときはまだいい。食事が運ばれない日が何日も続いたり、時にはガラスの破片や、毒が入っていて、何度も食事係は変わった。いつしか異物が混入されているのにも気づくようになったが、食べなければ血を吐くまで殴られるときもあった。
どんなに酷い味がしても、毒が入っていても、口の中がガラスの破片で口の中がズタズタになっても、ナルトは黙って用意された食事を食べた。
食事が持ってこられない日が続いたときは、水しか口にできない。
『蛇口』をひねれば水が出てくることを知っていたナルトは、唯一蛇口に手が届く風呂場で水を飲んでいた。
水をたくさん飲んでも、空腹はなかなか誤魔化されてくれなくて、眠れない夜もあったがナルトにそれを口にすることは許されない。
そんな食生活で唯一美味しいと感じたのが、カップ麺だ。あの頃はおいしい料理などほとんど口にしたことはなかった。おかげで成長は遅く、ほとんど骨と皮だけの体は実年齢よりも幼く見えていた。言葉もうまく話せないのがそれに拍車をかけていたかもしれない。
食事を運んで来た人間に「ありがとう」の一言すらまともに言えなくて、可愛げのない、気味が悪い子供だとよく罵られていた。
だが、そんな生活に転機が訪れたのは、四歳になってすぐのころだ。
部屋で倒れていたのを様子を見に来た火影に発見された。
何日も食事が運ばれることはなく、火影が来なければ死んでいたかも知れない。さすがに九尾の力があっても、それはどうすることもできない。
この頃のナルトはお腹が空いて動けないのも当たり前になっていて、ナルト自身は命の危険など感じていなかった。
手を握ろうとしてもわずかにしか動かない指を見て『不思議だなぁ』としか感じず、それを眺めて一日中ぼんやりとしていたら、いつの間にか意識を失っていた。
それを発見したのが火影だ。ナルトが栄養失調になるほど食事を与えられてなかったことも驚いたが、それ以上にナルトの体に残された傷の多さに驚きを隠せなかった。
九尾を宿しているナルトは、通常では考えられないほどの回復力を持っている。だが、それがあるにも関わらず、体の至る所に傷があった。
日常生活でついた傷ではなく、誰かに追わされた傷だ。うっすらと残る傷を見て、火影はナルトの命を危ぶんだ。下手な人間をつけてもまた同じことが繰り返されるかもしれない。ナルトを憎んでいない人間は、この里には数えるほどしかいない。
ナルトがいなければこの里は滅んでいたというのに、九尾の器だというだけで憎まれ、殺される。部屋の中でひっそりと死んでいるナルトの姿を想像して、火影はぞっとした。
食事の支度や、身の回りの世話をするだけの人間ではだめだと思った火影は、暗部の人間を一人ナルトに付けると決める。ナルトの命を守れる人間を。
火影は眠っているナルトの顔を見つめた。自分の身を守るように体を丸めて眠る姿を見て、胸が締め付けられる。
もっと様子を気にかけるべきだった。一緒に住むべきだった、と後悔ばかりが押し寄せてくる。皺だらけの手でナルトの頭を撫でていると、子供がうっすらと瞼を動かした。
しばらく見つめていると、不安げに目を開けたナルトが、火影の顔を確認した途端ほっと息をついたのがわかる。
「じーたん…」
「おお、起こしてしもうたか。すまんな」
ごしごしと目をこすりながらナルトが起き上がった。
「ナルトや、お腹がすいておるじゃろ。すぐに何か用意しようかの」
火影はナルトに少し待つように伝え、部屋を出て行く。しばらく待っても火影が帰ってこないのは、おそらく火影自らナルトの食事を用意しているのだろう。
一人取り残された部屋で、ナルトは再び寝かせられていた布団に転がった。その途端きゅるる、とナルトの腹が鳴る。
そういえばお腹が空いている。他人事のように思いながらナルトはぼんやりと目を開いたまま、瞬きもせずに中を見つめていた。
視界に映る世界が薄い紙を隔てているように見える。自分の身に起こる痛みも、苦しみもナルトはあまり感じていなかった。
「ナルト…?」
不意に名前を呼ばれ、ナルトは声がした方へ視線を動かす。
狐の面をつけた男が一人、窓を乗り越えてナルトに近づいてきた。どこからどう見ても怪しい風体なのに、不思議と恐怖を感じない。
近づいてくる男をナルトはじっと見つめていた。いや、見つめていたわけではない。ただナルトの視界に、その男の姿が映っていただけだ。
「ナルト、だよね?」
もう一度ナルトを呼ばれて、ナルトは小さく頷いた。男は傍までやって来ると寝転がっているナルトの横に膝をつく。
「この怪我、どうしたの?三代目は…?」
問われながら頭の方に手を伸ばされて、ナルトはびくっと体をすくめる。殴られると思ったのだ。
だが、その手は優しく頭を撫でただけだった。火影と同じ温かい、優しい手。ナルトは不思議そうに男を見上げる。
「大丈夫。何もしないよ」
安心させるように囁いて、男は優しくナルトの頭を撫で続けた。けれど、そう言われてもなかなかナルトは安心できず、疑いの目差しで男を見る。
「ナルト、待たせたの…っと、来ておったのか。早かったのう」
火影が食事を持って戻ってきた。
「じーたん!」
男の手を振り払い、ふらふらとした足取りでナルトは火影の元へ駆けていく。転びそうになるのを必死でこらえてナルトは火影のところへたどり着くと、後ろに隠れた。火影の服をぎゅっと握り、少しだけ顔を覗かせながらナルトは男の様子を窺っていた。
「どうしたんじゃ…?ああ、あやつの面がこわいのか?」
その言葉にナルトはふるふると首を振る。別に面が怖いわけではない。
怖いのは、優しく頭を撫でられたことだ。少しすればその手が自分を殴るためのものになるに決まっている。
火影の後ろからナルトはじっと男を見つめた。
「おぬし、任務中ではなかったか?」
まだ疑いの目で見ているナルトを火影は抱き上げながらカカシに問いかける。ナルトが男を警戒しているせいか、普段あまり甘えてくれないナルトが抱きついてくれることに、火影は相好を崩している。
「ナルトに会わせてくれるというので早めに片付けて帰ってきました。オレだってたまには真面目に任務に取り組みますよ」
「普段から真面目に…いや、まぁよい」
危うく説教を初めてしまうところだったが、火影はなんとかそれを飲み込んだ。
今日はナルトの件を話すのが先だ。
「ナルトの、世話を頼みたい」
火影にしがみつくように抱きついてきているナルトに視線を送りながら、火影はカカシに告げる。
「…ナルト」
名前を呼ばれ、ナルトは男の方へ視線を向けた。狐の面を取りながらナルトの方へ近づき、膝を折った。
ナルトはびくっと肩をふるわせる。そんなナルトに男は苦笑した。
「何もしないよ」
優しく撫でられて、ナルトは不思議そうに男を見上げる。いつだって、自分が『ナルト』だと知れば、どんなに優しそうな笑顔を浮かべている人でも途端に嫌そうな顔をして二度と触れようとはしなかった。
ナルトが不思議そうにしている間も、男はずっとナルトの頭を撫で続けている。
「もういい加減にせい、ナルトが困っておるじゃろ」
撫でるのをやめて欲しいと言うこともできず、ナルトがおろおろとした表情を浮かべていると、火影の声が男を制した。
「可愛くてつい。困らせてごめんね、ナルト」
そっと男の手が離れて、ナルトはほっと息をつく。だがその安堵も一瞬で、今度は男に抱き上げられた。
「わっ…!」
銀色の髪をした男の顔が間近に迫る。片目ずつ色が違う瞳にナルトは目を奪われた。そして、赤い左目に走る傷にも。
ナルトにとって傷跡は残らないものなので、男に残っているそれを見て、まだ怪我をしたばかりなのだと思い、傷跡にそっと手を伸ばす。
「痛い…?」
まるで自分が傷ついたような顔をして、ナルトは男の傷跡に触れる。
一瞬、男が驚いた顔をした。何か変なことを言ってしまったのかと思い、ナルトは慌てて手を引っ込める。
「痛くないよ。大丈夫」
すぐに笑顔に戻った男に、ナルトは安心したのか小さく笑みを浮かべた。
「オレの名前はカカシ。はたけカカシだよ。これからよろしく、ナルト」
「かーち…?」
名乗られた名前を復唱してみるが、ナルトはうまく発音できない。何度か『カカシ』と予防としたが、ナルトはどうしても正しく名前を呼ぶことはできなかった。
「カカシだよ。カ・カ・シ」
「かーち!」
どうしても名前を呼べなくて、ナルトは開き直ったようにカカシの名前を叫んだ。
「まぁ、ナルトが呼んでくれるなら、カカシでもかーちでも返事するけどね」
いつかちゃんと呼んでくれたらいいよ、と言うカカシにナルトは笑顔で頷いた。
続く