Love Knot




 女の甲高い声が聞こえる。
 カカシの家の前まで来たナルトは、貰っていた合い鍵を鍵穴に差し込みかけてぴたりと手を止めた。人よりも少し耳が良い方なので、はっきりとその声は聞こえてくる。
 正直なところ、ナルトは「またか」としか思えなかった。カカシが女を連れ込むのはいつものことだ。
 ナルトが来ることがわかっているはずなのに、カカシはまるで狙いすましているかのように、女との逢瀬を繰り返す。
 ナルトにはそれがわざとだということがわかっていた。こんなところに出くわして、何度帰ろうかと思ったことか。実際、帰ったこともあった。
 けれど、約束した時間にナルトが行かなければ、カカシは決まってこう言うのだ。
『もう、やめる?』
 と。まるでナルトが辞めたいと望むのを期待しているような口ぶりで。
 そのときはやめない、と強がってみせたが、すぐに後悔した。ナルトがやめると言うまで、あと何度こんな光景を目の当たりにしなければならないのだろう。
 カカシにとってナルトは、自分を取り巻く人間の一人に過ぎないのだ。
 酷い人だと何度思ったかわからない。けれどそれでもいいと、この関係を望んだのはナルト自身だ。
 玄関の前に立っていても仕方ないと思い、ナルトは鍵を差し込んだ。ドアを開けると女の声がうるさくて近所中に聞こえてしまいそうで慌ててドアを閉める。
 寝室の手前の部屋でうずくまり、両手で耳を塞ぐ。
 だが、どれだけ耳を塞いでもその声が完全に遮られることはない。
 しばらくして女の声が止み、少し話し声がすると、もの凄い勢いで寝室のドアが開いて女が出てきた。部屋の隅に小さくなって座っているナルトを見つけると、射殺しそうな目で睨み付けながらナルトの前を通り過ぎる。
 こんな目で睨まれることにもナルトはもう慣れていた。恐らく、カカシが事が終わった瞬間に「次の予定があるから、帰って」なんて言ったのだろう。
 ぷりぷりと怒って部屋を出て行く女の後ろ姿をナルトはじっと目で追った。自分とは比べるのもおこがましいくらい綺麗な人だった。
 カカシの家を出た女は、ドアが壊れそうな勢いで扉を閉める。
「ナルトー、鍵掛けてきて」
 寝室からカカシの声がして、ナルトは言われた通りに玄関へ鍵を掛けに行く。そのくらい自分でやれ、と思いながらも口に出しては言えない。
 鍵を掛けてから寝室へ向かうと、カカシがベッドに腰掛けて怠そうに煙草を吸っていた。
 その頬には叩かれた後がある。くっきりと指の跡がついていた。余程力いっぱい殴られたらしい。
 ナルトが来たことに気づいたカカシは煙草を灰皿でもみ消すとナルトに向かって微笑み掛ける。
「ごめんね、今の女しつこくてさ」
 全く悪いと思っていないくせに、カカシは謝罪の言葉を口にする。
「カカシせんせー…いつか刺されるってばよ」
「そうだなぁ、ナルトにやられるんだったら別に構わないよ」
「…っんなこと、出来るわけねーってば」
 からかうように言われ、ナルトは反論しようと口を開き掛けるが、その通りなので何も言えずに黙り込んでしまう。
「ナルトはさ、オレみたいなのに愛されない方がいいよ」
「え…?」
 少しの沈黙が降りたあとに、カカシがぽつりと呟く。小さすぎたそれは、ナルトの耳に届かなかった。
 聞き返したナルトに、カカシはなんでもないよ、と言うと手を差し伸べてくる。
「服を脱いで、こっちにおいで」
 他の人間を抱いたあとのベッドで、カカシは同じように自分を抱く。悔しくて、切ないのにナルトはそれを嫌だと言う事ができない。
 男のくせに体を差し出すくらい必死にカカシに愛されたいと思うことに、ときどき自分がおかしいのではないだろうかと不安になる。
 セックスをしたいわけでも、したくないわけでもない。ただ、少しでもいいから、愛されたいだけなのだ。
 ナルトはぐっと服の端を握りしめ。少し戸惑ったあと服を脱ぎ始める。カカシはそれを口元に笑みを湛えながら見つめていた。
 痛いほどカカシの視線を感じながら一枚ずつ身につけていたものを剥ぎ取っていく。
 こんな風にカカシに見られながら服を脱ぐときはいつも手が震えてしまう。ナルトはカカシの視線を意識しないようにして、下着まで取り去ったあと、カカシの元へ歩いて行った。
「ねぇ、ナルト」
「なんだってば…?」
「オレのこと、好き…?」
 行為を始める前にいつもカカシはこうやってナルトの気持ちを確かめる。
「…好き、だってばよ。いつも言ってるじゃんか」
「そっか」
 カカシから、自分と同じ言葉が返ってくることはないとわかっていても、ナルトは好きだと告げる。
 そのあとに、カカシは必ず少し安心したように笑う。けれど、少しだけ切なさを含んだ笑み。
 カカシが何故そんな笑みを浮かべるのかまるでわからなかったが、ナルトはその顔を見るのが嫌いではなかった。




 ************

 ナルト、と遠くから呼ばれたような気がして目を開けた。
 激しかった行為に疲れて眠ってしまっていたらしい。
 もそもそと気怠そうに起き上がったナルトは少し寝ぼけているような目で辺りを見回した。
 カカシが髪を拭きながらナルトの側へ近づいてくる。
「おはようナルト。よく寝てたね」
 カカシはシャワーを浴びていたようで、ナルトは石鹸の匂いに引き寄せられるように、カカシの胸に顔を埋めた。
「少しやりすぎたかな」
 ごめんね、と言いながらカカシはナルトの背中に手を回す。こんな風に優しく抱きしめられるのが好きだった。ただ、少し切なさが残るけれど。
「ごめんなさい。うっかり寝ちゃったってばよ」
「ほんのちょっとだよ。オレが風呂に入ってた間くらい」
 風呂に入っていたという言葉を聞いて、ナルトは自分がまだ汗や精液に塗れていることを思い出し、ナルトは慌ててカカシから離れる。
 カカシの腕から逃れるようにベッドから降りようとするが、一歩踏み出した途端に床へへたり込んでしまった。
「大丈夫?」
 苦笑を浮かべながら差し伸べられたカカシの手を素直に借りて、ナルトはふらふらしながらも立ち上がる。
「もう、カカシせんせーがガツガツやるからだってばよ」
「ごめんね」
 今日、この台詞を聞くのは一体何度目だろう。
「カカシせんせー、お風呂借りてもいいってば?」
「一人で大丈夫?」
 カカシの問いかけにナルトは小さく「うん」と答えるとまっすぐ浴室へ向かっていく。
 一人で風呂に入ることにも随分慣れた。
 大丈夫だと言ったのについて来ようとするカカシを振り切ってナルトは浴室に入ると、ぺたんと床へ座り込む。
 蛇口を捻るとすぐにお湯がでてきて、ナルトはぼんやりとしたままそれを頭から浴びた。暖かいお湯にずっと当たっていると、心が冷え切っているのを自覚してしまい、涙が溢れてきた。
 こんな顔は決してカカシには見せられない。泣いているところなんて見られたら、カカシはナルトを自分から離れていかせようとするに決まっている。
  涙を洗い流すようにお湯を浴び、一旦シャワーを止めると全身をボディソープで綺麗に洗った。
 そして泡を洗い流すと、今度は自分の後孔に指を宛がい、中からカカシが出したものを掻き出す。
「…っん」
 どろり、としたものが中から溢れてくる。この感覚にはいつまで経っても慣れない。ナルトはそれをシャワーで流してからもう一度下半身を洗った。
 泣いてしまったせいで、少し腫れぼったくなった瞼を冷やしてから風呂場から出ると、カカシの部屋で脱ぎっぱなしにしておいたはずの服が、綺麗に畳まれて脱衣所に置かれていた。
 もしかしたら泣いていた声をカカシに聞かれたかもしれないと思い、ナルトは胸がどきりとする。
 服を身につけて、動揺しながらもカカシの寝室へ向かった。
 テーブルランプの明かりだけで本を読んでいたカカシが、ナルトの足音に気づいて顔を上げる。
「ナルト、大丈夫だった?」
 そう切り出されてナルトは思わず身を硬くする。
「え?何がだってば…?」
「いや、一人でお風呂に入るの大丈夫だったかな、と思ってさ」
「ああ、うん、大丈夫だってばよ」
 そのことか、とナルトは安堵してカカシに笑みを向けた。泣いていたのを聞かれていなかったのにほっとしたのが半分、自分のことを気に掛けてくれたことが嬉しいのが半分。自然に笑みが零れる。
「じゃあ、オレそろそろ帰るってば」
「一人で帰れる?」
「もう、大丈夫だってばよ!じゃあ、またね、せんせー」
 カカシに軽く手を振って、ナルトはその場をあとにした。
 時折見せるほんの少しの優しさが、ナルトの心をカカシにとどめてしまう原因なのかもしれない。
 カカシが気に掛けてくれる、そんな些細なことがナルトにとっては嬉しくて仕方がなかった。
 外に出ると真冬の空気がピリピリと肌を突き刺す。暖かかったカカシの家から出て、急に現実に引き戻されたみたいに、ナルトの頭も冷えてくる。
 いつまでもこんな事を続けられるわけがない。
 それはナルトの頭に常にあることだった。
 けれど、どうしても自分からこの関係を断ちたいとは言い出せなくて、ずるずると続けてしまっている。
 十二の頃からだと考えると、もう四年近い。自来也と共に修行に出ていた二年半は一度も会うことは無かったが。
 その間にこの想いも薄れていると思っていたのに、帰りを出迎えてくれたカカシの姿を見てこの感情は少しも色あせていないことを知った。
 月日が経つごとに苦しくなっていく。想いが伝わらないことよりも、それでいいと思っていたはずなのに、苦しいと思ってしまう自分の身勝手さへの嫌悪だ。
 考え過ぎて頭が痛くなってきた。体の疲れもあって、ナルトの歩みは段々と遅くなる。
「ナルト?何してるんだい?」
 後ろから声を掛けられて、ナルトはハッと後ろを向く。ぼんやりとしていたので、人がいることに全く気がつかなかった。
「…なーんだ、サイか…びっくりしたってばよ」
「随分前からあとをつけてたんだけど、気づかなかった?」
「ハァ?お前そういう意味わかんないことすんなよな…」
 サイの発言を聞いてナルトは少し距離を取る。
「友達なら、気づいてくれると思ったんだ。でもいつまで経っても気づいてくれなかったから…」
「ちょ、ちょっと考え事してたんだってばよ」
 表情の変化は小さかったが、少し悲しそうな声で言う新しい友人に、ナルトは少し焦ったようにフォローを入れる。
 考え事をしていなかったとしても、気づけたかどうがは微妙なところだ。
「つか、どこからつけてたんだってば…?」
 もしかしてカカシの家から出てくるところを見られているかもしれない。
 それを見られただけで、カカシとの関係が知られるわけではなかったが、思わず心拍数が上がってしまう。
「キミがカカシさんの家から出てきたところからかな」
 サイの言葉にナルトの顔がさっと青ざめる。ナルトは思わずサイから視線を逸らしてしまった。
「何かあったの?わざわざ家まで行くなんて」
「あ、いや…ちょっと用事があったんだってば」
 歯切れの悪いナルトの言葉に、サイは少し首をかしげる。普段からいろいろ言い訳を考えていたはずなのに、急に聞かれると頭が真っ白になって何も言葉が出てこない。
「ナルトとカカシさんは仲がいいんだね。少しうらやましいや」
「なんでうらやましいんだってばよ?別に…そんなに仲がいいわけじゃないってばよ」
「ボクは人の家に遊びになんて行ったことがないからね。…そうだ。ねぇ、今度ナルトの家に遊びに行かせてよ」
「ええ?!なんでオレなんだってば?」
「友達って、お互いの家を行き来したりするものじゃないのかい?」
「…別に来てもいいけどよー、何もないってばよ?」
「よし、じゃあ早速行こう」
 サイに手を取られ、家の方に向かって歩き出す。
 今からかよ、と思ったがサイが嬉しそうにしているのでナルトは何も言えずにいた。無表情なやつだと思っていたが、よく見ていると感情の起伏は結構わかりやすい。
(変なやつだけど、まぁ悪いやつじゃないよなぁ…)
 あとは本を鵜呑みにしたり、空気を読まなかったりすることをやめてさえくれたらと思ったが、そこがサイのいいところなのかもしれない。
 そんなことを考えながらしばらくサイに手を引っ張られるままに歩いていたが、ふとサイがなぜ自分の家への道を知っているのかナルトは疑問に思う。
「…って、お前は何でオレの家を知ってるんだってばよ」
「友達の家を知ってるのは当たり前じゃないか」
「いやいや、どうやって知ったんだって聞いてるんだってばよ」
「ナルトの後ろを歩いてたら、偶然知っただけだよ。ナルトは気づいてなかったけどね」
「そういうのは、偶然って言わないんだってばよ」
 はぁ、とナルトはため息をつく。
 頭が痛くなってきた、と思ったが、さっきよりも気分は大分浮上していた。
 一人でいるとろくな事を考えないので、サイに会えてよかったのかもしれない。 
 そんなことを思いながら歩いていると、ナルトの手を引いているサイが後ろを向いて、にこ、と笑った。
「…ところで、そろそろ手を離せってばよ」
「友達なら手を繋ぐのも当然…」
「や、それはないから。ほら、離せってばよ」
 サイの言葉を遮って、ナルトは容赦なくサイの手を振り払う。
 その瞬間、ナルトの足下がふらついた。危うく地面に転びそうになったが、サイが腕を引っ張り上げてくれたおかげで何とか転ばずに済む。
「あ、悪ぃな」
「さっきも何度か躓いてたみたいだけど、どうかしたの?」
 ドキ、とナルトの心臓が高鳴る。
「…ちょっと修行で飛ばしすぎたみたいだってばよ」
「そっか、ナルトは時々無茶するからね。でもあまりやりすぎはよくないよ」
 あっさりとサイが納得してくれてナルトはほっと息をつく。
「じゃあ、やっぱり手を繋いでたほうがいい」
 そう言うとサイはやや強引にナルトの手を取った。振りほどこうと思ったが、ぎゅっと痛いくらい握りしめられる。
 人通りもないし、まあいいか、と半ば諦めに近い心境でナルトはサイに手を引かれるままに自分の家へ歩いて行った。












2009.5.4新刊。

2009/05/01