「別れよ?」
そんな一言で二人の関係は呆気なく終わりを告げた。
薄暗い室内。カカシの冷たい声にそう告げられたナルトは最初一瞬目を見開いたものの、ただ頷くだけだった。
Curse
別れてからすぐにナルトはカカシの前から姿を消した。三代目すらナルトの消息をつかめてはいない。激務にも関わらずナルトを必死になって探しているようだ。
カカシは一度だってナルトの安否を心配したことなど無い。
(どこかで野垂れ死んでくれてる方がオレ的には嬉しいんだけどね)
姿をくらませてしまうほどナルトを傷つけることが出来たのかと思うと胸がすっとする。 だが、そんな気分も、あるものが視界の端を掠めて何かもやもやした気分がカカシを襲った。せっかく部屋でくつろいでいたのに台無しだ、とカカシは小さく舌打ちした。
ベッドに寝転がりながら不快な気分の原因を考える。
傷ついて、ズタボロになった姿を見られなかったことが残念だったのだろうか。
それとも、毎晩性欲の処理をしてくれるものがなくなったせいで欲求不満にでもなっているのだろうか。
そのどちらもありえる。
それとも――別の答えが出てきそうになってカカシは考えることをやめた。
(具合だけは、良かったからな…)
心地よく締め付けてくるナルトの内部。
自分を求めてよがる声。
自分だけを見つめる、売るんだ青い瞳。
ふとナルトとの情事を思い出しかけて我に返る。そしてめざわりなものを無くしてしまおうとカカシは立ち上がった。
青いマグカップ。
色のない食器が多い棚の中で、それだけが異質だ。これを見ると否が応でもナルトのことを思い出してしまう。
ふと、これを買ってやったときのことを思い出した。自分がナルトに与えたものの一つでしかなかったけれど、一際喜んでいたのを覚えている。
誑かすための道具だったに過ぎないのに、ナルトはそのとき今まで見た中で一番嬉しそうな顔で笑っていた。
二人で買い物をしていたときだ。ふと、子供と同じ目をしたマグカップが視界に飛び込んできた。
「あれ、お前の目の色に似てるね」
かかしはそう言って子供の手を引きながらそれに近づいた。なぜそんなことを思って、どうしてそれをナルトに伝えたのかわからない。しぜんとその言葉が口から零れていた。
「ホントだ!オレの目の色と一緒だってば!」
嬉しそうにそのマグカップを手にとって、ナルトはそのカップを眺めていた。今思えばそれは本当にナルトの瞳にの色に似ていたのだろうか。どこにでもある青いマグカップだったのかもしれない。
「じゃあ、これ買おっか」
「なんで?」
不思議そうにカカシの顔をのぞき込むナルトにカカシは苦笑する。
「オレの家に来たとき、このカップを使えばいいでしょ?ナルト専用だよ」
そう言ったときのナルトの笑顔は今まで見た笑顔の中で一番輝いていた。これまで見た誰の笑顔よりも。
そんなことを思い出してカカシは苦々しい表情を作る。綺麗、だなんて自分も気づかないうちに狐に毒されていたのだろうか。
忌々しげに食器棚にあるマグカップを数秒ほど見つめそれを手に取った。そして、近くにあったゴミ箱に目を向ける。
今すぐこれを処分してしまわないといけない。そんな気持ちでそれをゴミ箱の上に掲げ、カップを持っていた手をぱっと離す。どさっと鈍い音をたてて、マグカップはゴミ箱に吸い込まれていった。
「ばいばい…狐チャン」
これでナルトを思い出すものはなくなった、と思いながらカカシは薄く微笑む。
そして逃げるようにゴミ箱に背を向けた。
「カカシ、お前大丈夫なのかよ?」
「…なにが?」
同僚のアスマにすれ違いざまに肩を掴まれ、いきなりそう問われた。
アスマとすれ違ったことすら、気づかなかった。よくよくあたりを見回せば、そこには紅やガイもいる。
「…なにがって、その、ほら…ナルトのことだ。あいつが消えてから明らかにぼーっとしている時間が多し、暗いぞ?」
そんなことはない、とカカシはアスマに反論しようとした。けれど、その言葉をアスマが遮る。
「イルカのやつも…相当参ってるみたいでよ…」
『イルカ』
その名前にぴくり、とカカシは眉を動かす。ナルトが一番懐いていて、以前のカカシには一番気にくわなかった存在。
今でもナルトのことを必死になって探しているようだ。それがまた気にくわない。
どうして誰も彼もがナルトのことを気にするのだろうか。あんな、狐のことを。
「…それで?アスマちゃんはなにが言いたいわけ?」
喧嘩腰にカカシは呟いた。いつもならもっと茶化したように、話をごまかすことができるのに。それだけ今のカカシに余裕がないようにアスマの目には映った。
「テメェの健康状態と精神状態に気を遣ってやってんだよ…」
「別に大丈夫だけど?あいつが消えたからって別にどうこうってワケじゃないし。あぁ…あえて言うなら溜まってるくらい?」
そんな台詞を吐いた瞬間、ガッと鈍い音があたりに響き渡った。思わぬ出来事にとっさに対応できなくて足がふらつく。そのままカカシは床に片膝をついた。
「二度とそんな口叩いてんじゃねぇぞ?例え…強がりでもな」
カカシは殴られた痛みで熱を持つ頬を抑えてゆっくり立ち上がった。
「なにも知らないくせに知ったような口聞かないでくれる?オレは大丈夫に決まってるでしょ」
そうだ。
なにを自分が苦しむことがあるのだろうか。
大丈夫に決まっている、とカカシは心の中でもう一度繰り返した。まるでそう自分に言い聞かせるように。
「お前…今どんな顔してるかわかってんのか?」
わかっている。きっとナルトに別れを告げたときと同じような冷たい顔だ。間違っても辛そうな顔なんてしていない。誰かに心配されるような、顔は。
「あほくさ、お前とは話してらんないよ」
そう言い捨てるとカカシはその場から姿を消した。
強がりだって?ばかばかしい。
そう思いつつも、アスマの言葉がカカシの頭の中で繰り返されていた。イライラしながら家路につく。
柄にもなく道ばたに転がっていた小石を蹴飛ばしながら。
清々したに決まっている。あいつがいなくなって、憎んでも憎み足りない狐が姿を消したことをが。
けれど、どいつもこいつも人の顔を見れば同じ台詞を吐いてきて、まるで可哀想なものを見る目で見る。
そんな目で見られるいわれはない。いつまでも消えない金色の髪をした子供の残像がカカシを苛立たせた。
(早く、消えろよ…!)
忌々しげにカカシは舌打ちをする。今までこんなにも感情を乱されることなどなかった。子供の記憶を消そうとすればするほど、心はかき乱された。
ナルトの恋人を演じたのは復讐と、性欲処理に手っ取り早かっただけのはずなのに、自分の心からも消えてくれない。いつまでもあの金色の髪の毛が視界にちらついているようだ。
ふっと視界に金色の髪が映ってカカシは目を見開いた。慌ててあたりを見回してみたがあたりには人の姿すらない。
ぞわ、と全身が総毛立った。
いきなりわき上がってきた性衝動。けれどそれを紛らわすためのものは、今は手元にはない。仕方が無く適当に女をひっかけて、女が疲れ果ててヤるのを嫌がってもそれは尽きることを知らなかった。
ヤってもヤッてもまだ足りなくて。
幻覚のように目の前にちらつくのは、ここにはいないはずの子供の姿。耳に響くのはいないはずの子供の喘ぎ声。
ナルトじゃなければ満足できない――。
それはまるで、呪いのように。
続