「俺達、出会わなければよかったね」
そう言ってナルトは薄い笑みを浮かべた。消えてしまいそうな儚さを持った笑み。泣きそうな目でカカシを見ていたナルトの目はどこか虚ろだった。カカシを通りこして違うところを見ているようにも思える。
「…そうだね」
出会わなければよかったと言ったナルトの言葉に、カカシは頷いた。
きっと自分も壊れてるんだと思う。ナルトと出会い、過ごした日々は幸せだった。幸せ過ぎて、互いが互いを傷つけてることに気付くことができなかった。
幸せすぎて傷つくことがあるなんて知らなかった。
お互いだけがいればいいという感情は次第に歯止めがきかなくなって、それしか見えなくなった。いつか来るかもしれない、こんな日から目を反らしていた。
最初から出会っていなければ、ナルトを手にかけずに済んだかもしれない。
胸が押しつぶされそうな思いをお互いに抱かずに、逝かせてやれたかもしれない。
それを想像してはありえないことだとカカシは首を振る。きっと自分は一瞬のうちに子供に惹きつけられて、心を奪われる。そしてそのときは、もっと早く出会っていればと思うのだ。
「カカシせんせー」
互いに黙り込んでしまい、重い沈黙が続いていたのを破ったのはナルトの声だった。
自分を呼ぶ口調は幸せな時間を過ごしていたときとまったく変わらない。少し舌ったら
ずな呼び方。
その呼ばれ方がとても好きだった。
それも、きっと今日が最後。
「大好き」
出会わなければ良かったと言った唇で囁く愛の言葉。
『好き』という単語はこの世で一番シンプルで、短い愛の言葉。けれどナルトにとって
それは一番重い言葉。
いつもは躊躇いがちに、ちょっぴり恥ずかしそうに告げていた言葉なのに、今日はまる
で自分が忘れないように心に突き刺さすみたいだと、カカシは思う。なにも悔いが残らないように。
最後だから口にするの?
別れの言葉の代わりにするの?
お前が言うみたいにいっそ出会わなければよかったの?
出会わなければこんな思いをせずに生きていけて行けたの?
けれど出会うことは決まっていて、こうやってナルトを手にかけることも決まっていたことだったのかもしれない。
ナルトは九尾の器。
カカシはそれが暴走したときに止める役目。
どんなことをしても。
例えナルトを殺すことになっても自分はそれをやり遂げなければならないのだ。
どうしてもとナルトがそれを望んでいたから。
誰か別の誰かにやられるなんて冗談じゃないといつか笑いながら言っていた。
今もあのときのようにナルトは笑っていた。
ナルトが小さくカカシせんせーと呼びかけてくる。
「幸せになんかならないで」
「なるわけないでしょ」
願うナルトの言葉に、カカシは即答する。でもさ、とナルトは続けた。
「せんせーは、生きて」
「……わかってるよ」
今度は鈍い返答のカカシに、ナルトは苦笑いを浮かべる。
一呼吸置いて、ナルトは笑みを消した。
「生きて、俺を殺したことを忘れないで」
ずっと一生、こんな思いを胸に抱いて生きろと言う子供は、生暖かい血で塗るつく手でナルトがカカシの頬を撫でた。
「…なーんてさ。今の、全部ウソだってば」
にっとナルトはいたずらした子供みたいな顔で笑った。
「オレが好きだって言うのもウソなんだ?」
つられたようにカカシも悪戯めいた顔つきで問いかける。
「そうだっていったらどうするんだってば」
「ナルトに限ってそんなことないってわかってるもん」
唇を尖らせて言うナルトにカカシはあはは、と声を上げた。
こんな時なのに笑える自分が不思議だった。けれどそれをおかしいと客観的に見ている自分も存在する。
笑わなければいけないと懸命に顔の筋肉を動かした。声も震えないように、もちろん、涙なんて流さないように。
泣いてしまったら、ナルトが安心して逝けないから。
ねぇ、ナルトオレはちゃんと笑えてる?
「泣かないでってばよ…せんせー」
「…笑ってるよ」
泣いてなんか、ないよ。とカカシが言うと、くしゃっとナルトがカカシの頭を撫でた。髪をかきまわして、落ち着かせるようにぽんぽん、とナルトはカカシの頭を軽く叩く。いつもは自分がナルトにしてあげていた行動。
唇が震える。
目頭が熱くなったと思ったら、あっという間に堪えきれなくなった涙がボロボロと目から零れ落ちていく。それをナルトがいくら拭ってくれても、少しもそれは止まってくれない。
「今から言うことだけがホントのことだってばよ」
カカシの頬に添えてあった手がぱたりと地面に落ちる。もう腕を上げることもできないくせに、ナルトはまだ言葉を続けようとする。
今度はカカシがナルトの手を握った。ゆっくりとナルトが目を閉じる。
「カカシせんせー…大好き」
ナルトの声以外の音が一切遮断されていた。風の音も、緑がざわめく音も、自分の心臓の音ですら聞こえなかった。
微笑んだまま眠ったナルトを見つめる。ぽつ、ぽつ、とナルトの頬に涙がこぼれる。
そして、カカシは笑った。
『幸せになんかならないで』
『せんせーは、生きて』
『生きて、俺を殺したことを忘れないで』
あの言葉は全部ナルトの本音だったのだと思う。ナルトがそれを望んだままだったなら、どんなことをしても自分はそれを実行した。
『…なーんてさ。今の、全部ウソだってば』
けどナルトはそれを全部嘘にした。自分に縛られることがないように。自分が、幸せになるように。大好きという言葉だけを残して。
カカシは思いついた自分の考えに、アハハッと声を立てて泣きながら笑った。
これはきっと自分にとって都合のいい解釈だ。ナルトの傍に逝きたいがためにこじつけた理由。ナルトの想いをめちゃくちゃにするような、身勝手な考え方。
生きて、という言葉は嘘なんでしょ?
ナルトが聞いたら、顔を真っ赤にして怒りそうな言葉だ。
でも、思いついてしまった考えはもう消えることはない。
生きてという言葉が嘘だったということは自分の望みでしかないけれど。
そっとカカシはナルトの頬に落ちた自分の涙を拭った。眠っているようにしか見えないナルトの顔をしばらく見つめて、冷たくなってきた唇に軽くキスをする。
手の中にはナルトの血に濡れたクナイ。
自分をナルトのところへ連れて行ってくれるそれを、カカシはぎゅっと握りしめた。
終