嘘の笑顔でも、よかった。
その笑顔が苦しそうなことも分かっていた。
気付かないふりをして、あなたを苦しめて、なんて酷いやつなんだと思う。
けれど、あなたはずっと
笑っていて。
たとえば、なにもかもを俺が壊してしまったときも。
あなたは俺の大好きな笑顔を浮かべて、全てを終わらせてくれると信じてるから。
初めて見た、赤い瞳の自分。鏡に映る姿に、思わず息をのんだ。
禍々しいほどの赤い瞳。自分の顔のはずなのに、別人のように見えた。
信じられなくて、目を閉じて、もう一度開いた。すると、今度はいつもみたいな青い瞳。見慣れた顔にほっとした瞬間、心臓が止まりそうになるくらい衝撃的なものをみた。
それは、電球に照らされて出来た自分の影。壁に映ったその影からは9本の尻尾が確かに生えていた。
それを見た瞬間、ガクガクと体が震えた。違う、俺は九尾じゃない。見間違えだと必死に今見た物を否定する。
震える体を抱きしめて、もう一度鏡を見た。崩れ落ちそうになる膝になんとか力を篭める。
今度見た自分はいつもみる自分と何一つ変わらなかった。瞳も赤くなければ、影にも尻尾は生えていない。けれどそれは作り物みたいに思えて、ぼんやりと鏡を見つめる。
けれど、見つめていたらまた瞳が赤く見えたり、影に尻尾が生えて見えそうで。目を逸らして顔を洗った。
ザァーッッっと、音を立てる水道の音がいつもより大きいような気がする。『怖い』そんな感情が心を支配する。心臓がうるさいくらい自分の中に鳴り響いて、そんな音すらも『怖い』と思う。
いつもより忙しく顔を洗うと、水があちらこちらに飛び散って服も濡れた。けれど、そんなことに構うことができないくらい、なにもかもが怖かった。
何度か水を掬い、顔を洗うと冷たい水に冷やされたせいか少しだけ平静を取り戻す。
瞳が赤くなるなんて、そんなことあるわけがない。
影に尻尾が生えたように見えるなんて、そんなことあるわけがない。
全て見間違えだ。
そんなことを思いながらナルトは傍にあったタオルで顔を拭いて鏡を見た。
「うそだ……」
赤い瞳。九本の尾が生えた、黒い影。
そして、くっきりと浮かび上がる両頬の3本の痣。
呆然と呟いた言葉は、水の流れる音にかき消された。
「ナルト、アンタ目が赤いわよ?」
大丈夫?と言いながら覗き込んでくるサクラから、ナルトはばっと飛び退いた。
赤い、と言われて今自分の目が真っ赤に染まってるのではないかと思って。
「…っ」
おそるおそる、ナルトはサクラを見上げた。
そこには飛び退いたナルトのことを、不思議そうに見つめてるサクラがいた。
「えっと…昨日、なんか眠れ無くってさー」
寝不足なんだってば、とナルトは付け足した。
実際、昨日はほとんど眠れなかった。自分のあの目の瞳が、影が、脳裏から離れなくて。
「なぁに?悩みでもあるの?」
ちょっとでいいなら聞いてあげるわよ、とちょっとだけ偉そうに言うサクラの声には心配の色が含まれていた。
「悩みなんてないない!昨日修行してたらさぁ、いつのまにかすっげぇ時間になっててびっくりしたってばよ!」
「もう、あんまり無理はしちゃだめよ」
自分のことをいたわるようなその言葉に、ナルトは少しだけ胸が痛んだ。
「…わかってるってばよ!」
そんな胸の痛みをごまかしたくて、ナルトはわざと大きな声をだして元気だと言うことをアピールする。ほんの少しだけ、なっとくしていないようなサクラの表情に気付いていたけれど、あえてそれを気付かないふりをしてナルトは笑った。
むしろ、自分のことは大丈夫なのだ。赤い瞳も、あの影も、九尾の影響だと言うことはもうきっと受け入れている。
ただ怖いのは、あの人の反応。
どんな、顔をするだろうか。
赤目をした自分を見たときは。
九本の尻尾が生えている影を見たときは。
憎いものを見るような瞳で見る?
汚い物を見るような瞳で見る?
哀れんだような瞳で見る?
それとも、気付かないふりをしてくれるのだろうか。
いつもと、同じみたいに。
笑ってくれるんだろうか。
影が動く。
九本の尾がざわりとナルトの影から現れる。
それはほんの一瞬の出来事。
その影を見た瞬間、カカシは一瞬時が止まった。木々がざわめく音で我に返る。
「…っっ」
思わずふりほどいた手。
「せんせー?」
不思議そうに自分を見つめるナルトの瞳が、赤く光っていた。カカシはそれを見てじっとナルトの瞳を凝視する。
「な、ると…?」
「なんだってば?カカシせんせー、変」
ぱちり、と瞬きをしてナルトがカカシを見た。その瞳の色は青。いつもと同じ、抜けるような青空と同じ青い瞳。
見間違えか、とカカシはほっと胸をなで下ろす。
「なんでもないよ。ゴメン」
そう言ってカカシは再びナルトの手を握った。小さな、温かい手。ふいにナルトがカカシの手を強く握った。さっき手をふりほどいてしまったことを気にしているのだろうか。
ふと、ナルトの影を見る。尻尾が生えたような影は、気のせいだったのだろうか。そして、瞳が赤く見えたことも。
そうだ、気のせいなんだ。とカカシは自分に言い聞かせる。そしてナルトの手を強く握った。
なぜかナルトが、すり抜けていくみたいに遠くに行ってしまいそうだったから。
「ナルト」
「…なに?」
赤い夕日が二人を照らす。その夕日を見ながら、カカシはナルトを呼びかけた。
「大好きだよ」
そう言った瞬間、ぎゅ、とナルトの手に力がこもる。
「…せんせ?」
不安そうに見上げて来る瞳。
なにかに怯えているような瞳。
大丈夫。
俺は何も見ていないよ。
何も気付いていないよ。
「……大好きだよ」
「……うん」
俺も大好き、と小さくナルトは呟いた。
「俺、カカシせんせーが笑ってるのが、大好き」
「俺も、ナルトが笑ってるのが大好きだよ」
「カカシせんせーは、幸せ?」
「もちろん、幸せだよ」
その言葉に、ナルトは少しだけ泣きそうな顔で笑いながら「俺も幸せだってば」と言った。
笑っていて。
不安そうな瞳に気付かないふりをするから。
いつまでも笑っていて。
なににお前が苦しめられてるかもわかっているけれど、俺はそれを気付かないふりしてずっとそばにいるから、いつまでも笑っていて。
なんの解決にもならないって分かってる。
けれど、それを指摘してしまったらきっともう、一緒にはいられなくなるから。
握られた手が、傍にいてほしいと言っていた。
だから俺は気付かないふりをするよ。
気付かないふりをして笑っているよ。
だから、お前も俺がなにか気付いていることに気付かないでいて。
たとえば、もしも、なにもかもが壊れてしまったら。
そのときはお前が大好きだと言った笑顔を浮かべながら。
全てを終わらせてあげるから。
ずっとずっと、笑っていて。
終