帰してあげる。
あなたは里に必要な人。
なにもかもを棄てて、愛して。傍にいてくれた人。
俺には必要のない人だから、せめて。
思いを引きずることのないように。
Miniature Garden 後編
なにかから逃げる生活は決して長く続かない。逃げて逃げて、逃げ続けてもきっと行き着く先にはなにもない。何も残らない。
残るのは作り物の幸せが壊れた残骸と、傷跡だけ。
傷をつけることにためらいはない。そうすればきっと彼の傷は最小限にとどめられるのだから。
「カカシせんせー。もういいってばよ?」
ナルトの言葉に向かい合って座っていたカカシの表情が抜け落ちる。いつか、こんなことを言われる日が来るんじゃないかと思っていたのだろうか。
「なにが…?」
「俺と、一緒にいることもうやめてもいいよ」
がちゃん、とカカシは持っていたカップを乱暴に置くと、席を立ってナルトの傍に立った。
「なんで?」
カカシが横に来ても、そっちの方を見ようとしないナルトにカカシはきつくナルトの肩をつかんで自分の方に向ける。掴む力は、ほんの少し痩せた方の骨を掴んで痛かった。けれどこんな痛みくらいじゃなんにも感じないのと同じだ。もっともっと、痛みを感じなければきっと自分はなにに痛みを感じているかがわからない。そう思いながらナルトはだまったままカカシを見つめた。
「…俺のこと、嫌いになった?」
「ううん、そーじゃないってばよ」
嫌いなんかじゃない。
「俺は、もう必要ない?」
「それも、違うかなぁ…」
もう、必要ないだなんて思ってもない。
「じゃぁ、どうして…?」
見下ろしてくるカカシの瞳から、ナルトは初めて瞳を逸らした。ぱし、と掴んでたカカシの手を振り払って椅子から立ち上がる。
「ナル…」
「カカシせんせーのこと、嫌いじゃないってばよ。もう必要ないなんて思ってもない。けどさぁ…」
好きでもないし、俺には必要なかった。
愛してなんて、ない。傍にいてくれれば誰でもよかっただけ。
凍りついたようなカカシの顔を見て、ナルトは微笑みながら告げた。表情の抜け落ちたカカシの顔からはなにも感情を窺うことができない。
けれど、カカシの痛みは手に取るようにわかる。
「…わかって、くれた?」
だから、もういいってばよ。
そう言ってナルトは椅子に座った。言ってしまった言葉は言わなかったことにはできない。幸せだったあの時間はもう戻らない。
あぁ、そうか、とナルトは思った。カカシと過ごした時間は幸せだったのだと、今初めて気が付いた。けれどそれはもう伝えることもはできない。
こんこん、と部屋のドアが叩かれた。覚えのある気配にナルトははっとして立ち上がる。
「カカシせんせー」
なにもなかったかのような声で、ナルトがカカシの名前を呼んだ。
「お迎えだってば」
そう言ってナルトがカカシの横をすり抜けようとしたとき、不意にカカシの手がナルトの方を掴んでそのまま床へと押さえつけた。バランスを崩して倒れた拍子に机の上のものをなぎ倒し、派手な音を立ててカップが割れた。
カカシはナルトの首に手を掛けた。ナルトは穏やかな目でカカシを見つめた。
「…俺は、愛してた」
今も愛してる。殺したいくらい憎くても、愛してる。そう言いながらぎり、と首にかけた手に力を込める。ぽたぽたと、暖かいものがナルトの頬を濡らした。薄暗い電球が照らすカカシの髪と、こぼれ落ちてくるものをナルトは綺麗だなぁと思いながら見つめていた。
だんっっ!と音を立てて、数人の男が乱入してくる。カカシがナルトの首を絞めているのを見て、一斉にクナイを構える。投げ放つ一瞬前に、カカシはナルトを抱きかかえてその場を飛び退いた。
首にかけられた手が離れて、急に肺に入ってきた新鮮な空気にナルトは思いきり咳き込んだ。なにも、自分まで抱きかかえて逃げなくてもよかったのに、と思いながら。
「九尾を殺させるな」
ぼそり、と入ってきた男の一人が言った。額当てには木の葉のマーク。きっと自分が死ねば九尾がどうなるかわからないからそう言ってるのだろう。男達の敵意は一気にナルトを殺そうとしていたカカシに向けられる。
「九尾を、こちらに渡せ」
ナルトを殺すなと言った男が、すっと一人前に出て手を差し出す。カカシはその男を睨みつけながらナルトを抱きしめる力に手を込める。
「…馬鹿な人たち」
ごほっと咳をしながらナルトは呟いた。そして思う。
本当に馬鹿な、人。
どうして、殺そうとした自分をまた守るように抱きしめるのだろうか。
ナルトはどんっとありったけの力を込めてカカシを突き飛ばした。ナルトの瞳の色は赤く、それを見てざわ、と乱入してきた男達の気配が変わる。
「俺が死んだら、九尾も死ぬってばよ。だから、カカシせんせーは俺を殺そうとしたんだってば」
赤い瞳で、男達を見据える。じり、とナルトが一歩近寄れば、男達は一歩後ろへと後ずさる。クナイを手にしながら。
「…俺を、殺してみる?」
に、とナルトの唇が禍々しく歪んだ。その瞬間大量のクナイがナルトめがけて放たれる。逃げ場もないほど放たれたそれをナルトは軽々と交わして、激しい音を立てて避けたクナイが壁に突き刺さった。
「遅いってばよ?」
くすくすと、笑うナルトの笑顔は本当に純粋で。けれどどこかが歪んでいる。
もう一度男たちがクナイを構える。今度は先ほどよりも多くクナイは握られていた。
「…待て」
と、そのときカカシの声が緊迫するナルトと男達の間に響いた。互いがカカシの方を見るとカカシの手には刀が握られていた。
「俺がやるよ」
刀を収めていた鞘を投げ捨てて、刃先をナルトに向ける。ふっとカカシが消えて次の瞬間ナルトの懐に飛び込んでいた。
そうだ。
それでいいんだってば。
現れたカカシに、ナルトは微動だにせずに微笑んだ。
振り下ろされる刀を愛おしげに見つめて、自分の体が切られる感触にうっとりと目を閉じる。
「…カカシせんせー」
赤い血が、ナルトの口からあふれ出す。
「せんせーを…愛したかった」
きっと愛してた。
幸せだと思ったのは嘘じゃない。
必要ないと思ったのは。いつかこんな日がくると分かっていたから。
あなたに、殺される日がくることを願っていた。
俺を壊してくれる人。
なにもかもを奪ってくれる人。
愛してる。大好き。心からの言葉を言うことは出来なかったけれど。
ナルトの瞳から初めて涙がこぼれ落ちた。
「…ナルト」
崩れ落ちるナルトの躯をカカシはきつく抱きしめた。
「愛してるよ」
息絶えたナルトの躯を抱きしめて、キスをして。
ナルトを切り裂いた刀で自らの体も貫いた。
とても、幸せそうな笑顔を浮かべて。
終