嘘をつくくらい簡単なこと。ずるくて、汚い大人だから。
まだ幼い子供を騙すことに、少しだけ罪悪感はうずくけれど。
悲しませるよりはずっといい。
嘘に気づいてるかも知れないけど、知らないふりをして笑っていて。
空の言葉
差し込んでくる朝日がまぶしくてカカシは眼をあけた。まだ光を感じることはできるのかとほっと息をつく。
視力が落ちていた。
それは長年使い続けてきた写輪眼のことではなく、その反対側の眼。視界はぼんやりとしていて、輪郭がはっきりとしない。一時的なものかもしれないと放っておいたが、視界はどんどん濁っていく。
さらり、と指先に柔らかい感触がした。ぼやけた視界に金色のものが映った。
すやすやと、安らかな寝息が聞こえてくる。表情は見えなかったけど、穏やかな寝息ををたてていることに、カカシは笑みを浮かべてナルトの髪を撫でた。
「…ん。かかし、せんせー…?」
髪を撫でられた感触に、ナルトが眼をさました。こしこし、と目をこすりながら、むくりと起きあがる。
「おはよ、ナルト」
背伸びをしているナルトに、カカシは声をかけた。きっと、自分が先に起きていることに、きょとんとした顔をしてるんだろうな、とカカシは思う。
「カカシせんせー、なんで起きてるんだってば?」
案の定、驚いたような声を出すナルトに、カカシはくくっと笑った。表情は見えなくてもどんな顔をしているかなんて想像がつく。それが、おかしくって、幸せで。
きっと、隠し通せると思っていた。視力が落ちているということを。微妙な空気の動きや気配で日常生活には支障はないだろうから。
「俺が起きてたらダメなの?じゃぁ、もう一回寝ようかなぁ」
「わぁ!それはダメだってばよ!カカシせんせー、寝たら起きねーんだもん」
寝直そうとするカカシをナルトは慌てて引き留めた。
「俺、コーヒー入れてあげるから起きてってば!ね?」
「濃いめがいいなぁ」
「わかったってば!」
カカシのリクエストに、ナルトはとんっとベットから飛び降りてキッチンへ向かった。
ナルトの足音が遠ざかって、カカシはふと、自分の右目を押さえた。遠ざかる子供の後ろ姿も見ることができない。音がしたほうを眺めながら、カカシはふと、切ない思いにかられた。
ぼんやりとナルトをいる方を眺める。形を成さないナルトの姿を。
「カカシせんせ、朝ご飯はラーメンでいいってば?」
くるり、とナルトはカカシの方に向き直った。
「朝からラーメンなんて食べれないよ。とりあえず、コーヒーだけでいいから」
ラーメン、うまいのに…とぶつぶつ文句を言いながらナルトはこぽこぽと音を立ててコーヒーを注いだ。
「カカシせんせー?コーヒーできたってばよ?」
ぼーっと一点を眺めてるカカシに、ナルトは声をかけた。ナルトの声にはっとしたように、カカシは立ち上がるとナルトがはい、と差し出したコーヒーを受け取ろうと手を出した。
がしゃっっ!
コップが割れる音が響いて、カカシはそこでコップを受け取り損なったことを知る。
「あ~あ…なにやってるんだってばよ」
さっと屈んで派手に飛び散った破片を集めながらナルトはつぶやいた。カカシもそれにならって破片を片づけようとするが、ぼんやりとした視界には茶色のシミが広がっているようにしか見えない。とりあえず手探りで破片を拾い始めるが、ちりっとした痛みが指先に走った。
「…っつ!」
不意打ちのように走った痛みに、思わずカカシは声を上げた。
「カカシせんせー、なにやってるんだってばっ!」
ちゅう、と血があふれてきた指をくわえたカカシにナルトの失跡が飛んだ。ちゃんと、気をつけないとだめだってば、とカカシを押しのけてかしゃかしゃとナルトは手際よく破片を拾い集めた。
カカシは指をくわえて見ているだけだった。
「カカシせんせー、おかしいってばよ?」
コップを落としたり、破片で指を切ったり。いつものカカシならば考えられないことだった。
「まだ、寝ぼけてるのかなぁ」
目が見えないのだとは言わない。そんな言葉を告げて、笑顔で曖昧にごまかした。もう。」とため息をつくナルトは新しいコップにコーヒーを注いで、かたん、と机に置いた。
「ほら、さめちゃうってばよ」
ナルトの言葉にカカシはありがとう、とつぶやいて今度こそカップに手をつけた。そのことにほっとして一瞬だけ緊張を緩める。
そんなカカシをナルトはじっと見つめていた。
いつも通りにみえるけどかすかな違和感がナルトの胸からぬぐえない。なにか、イヤな違和感だった。
「どうしたの?ナルト」
じぃっと見つめるナルトにカカシは声をかける。ナルトははっとなって何でもない、と頭を振った。そう?とカカシは一言つぶやいて微笑んだ。
その微笑みを見て、ナルトは感じた違和感を気のせいだ、と胸の奥に押し込めた。
あのとき、かすかに感じた違和感はだんだんナルトの中で大きくなっていった。よく物を落とす、なにかにぶつかったり、躓いたり。そんなことが頻繁に起こっていた。
そして、極めつけは、自分のことを見ているようで、見ていない瞳に気づいたから。
相変わらず、優しそうな笑顔を浮かべてはいるけど、視線はどこか遠い。見ているのか、見ていないかがわからない。曖昧に投げかけられる視線にとまどうこともしばしばだった。
もしかしたら、見えてないんじゃないかと。
そんな考えがナルトの頭をよぎった。
本当は、そんな予感がずっとあったのだけれど、違うんだと必死で言い聞かせた。それは、カカシが隠したいことだったみたいだったから。
あの笑顔は、そんな意味が含まれていた。
確かめようとナルトは決心して、今日はカカシの家に一通の手紙を携えて来ていた。もう日が暮れていて、家の中には明かりがついている。
ドアノブに手をかけて、すぅ、と深く息を吸い込んだ。
「カカシせんせー!郵便だってばよ!」
ばたんっ!と扉を開けて、騒々しくナルトはカカシの家に入った。ばたばたと、必要以上に大きな音を立てて、ナルトはカカシのところへ駆けていく。
そんなナルトに、カカシは顔を上げて、笑顔でナルトを迎え入れた。
「郵便?ポストになにか入ってた?」
「ううん、俺から、カカシせんせーにお手紙だってば」
はい、とナルトがカカシに手紙を手渡すと、一瞬だけカカシの顔が固まった。けれど、すぐに「ありがとう」と言いながら普段の顔に戻る。その手紙を机の上にカカシは置こうとしたが、ナルトがそれを止めた。
「俺の前で、読んで見せてってば」
声を、出して読んでってば。
「どうして?」
「だって、カカシせんせーがどんな反応をするか見たいんだってば!」
ナルトが気づきかけていることを、カカシはずっと知っていた。そのたびにごまかしていた。
かさり、とカカシは封筒を開いて便せんを取り出した。紙面に視線を走らせるても、わかりきっていたことだったが、文字なんて全然読めない。と、いうか文字を確認することすらできないでいた。
ただ、真っ白な紙面がそこにはあった。
「…せんせー?」
怪訝そうなナルトの声が聞こえて、カカシはぴらっとナルトに手紙を差し出した。
「ナルトが、読んでよ」
ナルトの字、汚くて読めないんだもん、とカカシが苦笑いで訴えた。ナルトは、その言葉に軽く目を見開いて、差し出された手紙を受け取った。
手が、震えたのはカカシにはわからなかっただろうか。
白い便せんに目を走らせて、ナルトは絞り出すように声を出した。
「…カカシせんせー…大好き」
語尾が震えた。一生懸命涙を飲み込んだのに、語尾が震えたらなんにもならない。
「うん、俺も、大好きだよ」
ナルトの声が震えたことに気づいたのに、カカシは気づかなかったふりをしてナルトを抱きしめた。
震えた声と、涙が床に落ちる音がした。
「……ごめんね」
カカシがそうつぶやいたのが聞こえると、ナルトはぎゅうっとカカシの服をにぎりしめた。ひらり、とナルトがカカシに宛てた手紙が、床に落ちる。
なにもかかれていない、真っ白な手紙が。
騙された振りでいい、気づかなかったことにして。
そうしたら俺もお前が泣いていることに気づかない振りをしておくから。
終