恋愛の基本
『恋』
その一文字はたった一瞬の間にあっという間に心を侵食した。
まったくもって青天の霹靂というしかないこの感情に、戸惑いを隠せない。
どうして、こんなにも胸が高鳴るのだろうか。
まるで心臓が壊れそうなくらいどきどきと落ち着かなくて、このまま死んでしまうのではないかと不安になってしまう。
いっそ死んでしまったほうがこの動機、息切れ、体温の上昇、その他もろもろの症状から開放されるかもしれないので、まだましかもしれない。
「…はぁ…」
思わずため息が出てしまう、はたけカカシ。2○歳の春だった。
「…はぁ…」
人生色々にて、カカシは物思いにふけりながら深いため息をこぼしていた。
心なしか目はとろんと潤み、頬がほんのりと赤く染まっている気がする。そんな挙動不審なカカシをまるで奇異なものでも見る目つきで人々は見ていた。
そして、絶対に関わるまいと心に決め、カカシの半径2メートル以内には誰も近づこうとしなかった。
「…はぁ」
零しても、零しても、ため息はあふれてくるもので、カカシは本日何回目かわからないため息をもらした。
「…なにハァハァ言ってるの?あんた」
カカシには関わりたくないとは思っていたものの、あまりにもはぁはぁうるさいカカシをみかねて紅が声をかけた。回りの空気は一瞬にしてはりつめたものに変わる。木の葉新聞を読みながら耳を大きくして聞き耳をたてているものや、仲間と話しながらも、明らかにカカシに意識を向けているものが大勢いた。そして、どうしても関わりたくないと思ったものは。紅が声をかけた時点でその場をあとにしていた。
「ハァハァだなんてなんか人聞き悪いな…ため息ついてるの。見てわからないのー?」
紅の言葉に、カカシは唇を尖らせながら不服を申し立てる。
そんなカカシを見て、紅はさっそく、声をかけたことを後悔してしまった。
っていうか唇を尖らせるな、気持ち悪いから、と心の中で思いながら仕方なく紅はカカシの隣に腰掛ける。
「…で?どうしてため息なんてついてるわけ?」
聞いて欲しそうなカカシの視線に、紅はさっさと終わらせようとカカシに声をかけた。
「恋ってさぁ…苦しいよね…切ないよねぇ…」
そういいながら、カカシは再びため息をついた。
「は?」
カカシの口から出てくるにはあまりにも不似合いな『恋』という言葉に、紅はあんぐりと口を開ける。
「…故意?」
カカシなら恋をするよりも、たとえば相手を故意に陥れたり、怪我をさせていたりとか、いたぶってみたりとか。そういうことをしてしまったから罪の意識にさいなまれて苦しいとか言ってるのかもしれないと、紅は恐る恐る聞いてみる。カカシに限ってそんなことはありえないだろうけど。
「違うって。だから、恋だって言ってるデショー」
下に心がつく恋!
などとわめいているものの、紅の耳にはとうに何も聞こえていない。
「あんたが…恋?」
そう紅は目を見開いたままつぶやくと、次の瞬間人生色々中に響くような声で笑い始めた。
「か、カカシが恋!!!」
これでもか、というくらい紅は笑いまくっている。カカシはそんな紅を憮然とした顔で見ていた。
「で、相手は誰なの?」
目じりに浮かんだ涙をぬぐいながら、紅は問いかけた。いまだに笑いが抜けないようで、くっくと笑みを零している。
「…言ったらまたお前笑うでしょ…」
こんなに真剣に悩んでるのに、笑い飛ばすだなんてぶっ殺してやりたいとカカシは思いながらカカシは紅の顔をにらみつける。
「っていうか、聞いたらうまくいくまで相談に乗ってもらうよ?」
わかってるよね?
好奇心だけで聞いてこようとする紅に、カカシはにっこりと笑いながらとんでもないことを言い放った。
相談するまでは、まぁいい。けれどその叶うかどうかもわからない恋愛を成就するまで相談に乗れというのはあまりにもな言い草だった。
「いや、あんたうまくいくまでって…。むしろあんたご自慢の顔で迫ってみたらあっさり堕ちるんじゃないの?」
「…それが通じる相手ならこんなに悩んでないんだよねぇ…。そんなんで堕ちてくれてたなら、あとは俺のテクと愛でめろめろにさせる自信があるんだけどさぁ…」
むしろテクを使ったらやばいかもー。あはは。なんて笑いながら言ってるものの、目はちょっとマジだ。
「…へー」
やっぱり関わるんじゃなかったと、紅は後悔しているが、さりげなく相談にのりやがれオーラを出しているカカシからは逃げられそうにない。
「お前ら、固まってなにやってんだ?」
と、そのとき、紅の『逃げたい』と思っていた願いを神様が聞き遂げてくれていたようにアスマが現れた。あとはちゃっちゃとアスマに押し付けて、逃げてやると紅は心に決める。
「あ、アスマ、ここに座って!」
半ば無理やりアスマをカカシの隣に座らせると、自分はさっさと席を立つ。
「じゃぁ、私任務があるから!カカシ、あとはアスマに聞いてもらいなさいね!」
そそくさとその場を後にする紅をアスマはタバコの煙を吐き出しながら見送った。
「なんだ、聞いてもらうって…」
「やっぱり、こういう相談は同性同士のほうがいいよねぇ…」
逃げてしまった紅のことはもうすっかりと忘れて、カカシはアスマに話しかけた。アスマは、背筋にぞっとするものを感じ、とっさに後ずさろうとしたが、座っているとうまく動けない。
「あのさぁ…俺恋しちゃったみたいなんだよね…」
はぁ…とため息とともにこぼれた言葉に、アスマは銜えていた煙草をぽろり、と落とす。
「…恋?おまえが?」
「んもー!紅と同じこといわないでよ!この俺が超真剣に悩んでるのにさぁ」
超とか言うな。
アスマは心の中で思い切りつっこんだ。
「で、相手は?」
新たに煙草に火を灯してアスマはカカシに問いかけた。カカシはもじもじとしながら、自分の膝にのの字を書いている。
「その…アスマもね、知ってると思うんだけどさぁ…」
とにかく可愛いのだとカカシは告げた。
カカシが可愛いというくらいなのだから、よっぽど可愛いのだろうな、と思いながらアスマは身を乗り出した。
「金色の髪がいつも光っててきれいなんだよー。あとあの青い目に見つめられるともう心臓がおかしくなるくらいどきどきいっちゃってさぁ…」
ぽ、とカカシの顔が赤く染まる。
「…金髪に青い目……?」
そんな女この里にいたか…?とアスマが首をひねったところではっとする。
金髪に、青い目、この里にそんな人間は一人しかいない。
「…おいまさか、それ…」
さぁ、っとアスマの顔が青ざめる。
「そうvわかっちゃった?」
はずかしー!なんてカカシは言いながら顔を両手で覆っている。気持ち悪い、とかそんな問題ではなかった。
やばい。
逃げなければまずい、と思ったが、次の瞬間カカシは口を開いてた。
「俺、ナルトに恋しちゃったみたいなんだよねぇ…」
うっとりとあさっての方向を見ながらカカシはつぶやいた。潤んだカカシの目は完全に恋する乙女そのものだ。
カカシと知り合って早○年、未だかつてこんなカカシを見たことがあっただろうか。いや、ない。いつも人を食ったようなクソ生意気そうな顔をしてはいるが、こんなにも夢見がちそうな顔をしているカカシを見るのは初めてだった。
むしろこんなカカシの顔は見たくなかったような気がする。
「ねぇ、アスマーどうしたらいいと思う?」
知るか、と一言で切って捨ててやりたい。
「おまえは、どうしたいんだ?」
むしろ、14も下の子供とどうなりたいんだとアスマは心の中でつぶやいた。
「えー…やっぱりさぁ……へへ…」
ぶん殴りてぇ……。頬を染めてへら、と笑ったカカシを今にも殴りたい衝動にかられる。いっそ殴ってしまったら、カカシのこのくだらない恋愛相談につきあわされなくてすむだろうか。
いやきっと、今のカカシは殴りでもしようものなら、ぺたり、と地面に座り込んで「ひどい…」なんて言いながら涙目で訴えてくるに違いないとアスマは思った。
そして同時にものすごく怖い想像をしてしまった自分の思考回路に全身が総毛立った。「ねぇ、アスマ」
自分の想像に脳神経がやられそうになったアスマは、カカシが呼ぶ声に青白い顔をして振り向いた。
カカシはなにやら神妙そうな面持ちでアスマを見つめる。
「…やっぱり最初は交換日記からだよね?」
カカシの発言にアスマは今度こそ思考回路が凍結した。もう、どうでもいい、好きにしてくれ、俺を巻き込まないでくれと心の底から思いながら。
すまん、うずまき。無力な俺を許してくれ…!
「そ、そうだな、やっぱり恋愛の基本は交換日記からだな。早いとこ日記帳でも買いにいけよ」
ナルトに向かって懺悔をして、アスマはカカシに日記帳を買いに行くことを進める。
「じゃ、さっそく買いに行ってこようっとvかわいいのがいいよね~」
ありがと、アスマ。
と言いながら、カカシはぼんっと煙のようにアスマの前から消えた。カカシが消え去ったあと、アスマは心底疲れたように深く煙草の煙を吸い込んだ。
ふー…と誰にでもわかるような深いため息とともに、紫煙をはき出す。
これ以上絶対カカシの野郎にはかかわらねぇ。とアスマは心に決めるのだが数時間後にカカシから「…どうやって渡せばいいかなあ」などという相談を受けるのはまた別の話である。
終