さくら 後






 意識を失う回数が多くなっている気がする。体の怪我も治るどころか痛みを増している。

 そう思いながらナルトは目を覚ました。









 さくら









 目を開ければ白い病室があって、外には桜が散っている。桜は最初に目を覚ましたときより緑の葉の量が増えてきていた。

 それしか覚えていない。

 目を覚ますと、そこには知らない人の姿があった。銀色の髪をした…カカシがいた。

「…誰?」

 前にもこんな言葉を言った気がする。けれどそれを考えようとすると頭が痛くて仕方がない。

「なんで、かなぁ」

 ぽつり、とカカシは呟いた。

「…?」

 いきなりなんで、と言われてもナルトには答えられない。戸惑った顔をしてナルトはカカシの顔を見つめている。

 カカシは今のナルトよりもやせこけた顔で、酷い顔色をしていた。

「…どうして、忘れちゃうのかなぁ」

 ぎゅっと、男はナルトの手を握った。ナルトの小さい手を。最初に目が覚めたときよりもその手は痩せていてもっと小さくなった気がする。

「…ねぇ、ナルト。どうしてかなぁ…」

 幾度名前を教えても、ナルトがその名前を2度続けて呼んでくれることはなかった。今も、そう。昨日も名前を教えたはずなのに、ナルトはまたカカシのことを忘れている。いや、カカシのことだけでなく自分の身の回りのこと全て覚えていないが。

 イルカやサクラやサスケのこと、何度も会っているのにナルトが再び意識を失えば全てを忘れている。

 それをナルトを問いただす気は無いはずなのに、疑問はつい口から出てしまった。

「……ごめんってば」

 あまりにも辛そうなカカシの顔を見てナルトはぽつりと呟いた。

 思い出せないけど、自分はこの人を知っている。

 こんな辛そうな顔をさせたくはないんだと、ナルトの心が訴えていた。だけど、なにも思い出せない。

「…ごめん、ね?」

 涙が、溢れて止まらない。

 なにが悲しいのかもナルトにはわからなかった。ただ、涙が溢れて止まらない。

「…っ……」

 カカシは言葉を発することも出来なくて、感極まったようにナルトを抱きしめた。簡単に腕が一回りしてしまう体は以前よりも痩せ細っている。

「……ごめんね…」

 抱きしめられたナルトは、抵抗することもなくただ「ごめんね」と呟き続けた。カカシの肩を涙で濡らしながら。

 少し体を動かすだけで痛むこの痩せ細った体が、カカシに抱きしめられているとその痛みも無くなっていく気がした。











 カカシはナルトの病室に立ち寄ったあと火影の屋敷に向かった。医療に長けているツナデが手を施しているにもかかわらず、ナルトの怪我はいつまで経っても治るのはおろか、酷くなっていってるのは何故なのか、それをツナデは知っているような気がしていた。

「…ナルトの状態は一体どうなってるんですか?」

 これまで何度もカカシが問いただしてもツナデはそれを語ろうとはしなかった。けれど抱きしめたナルトの躯があまりにも痩せ細っていて、痛々しくて今日こそ聞くまではてこでも動かないと心に決めていた。

「原因不明、というしかないよ。九尾の治癒能力もあるはずなのにそれがまるで作用していない。それどころか……」

 傷はどんどん深くなっている。体力も回復せず、ナルトは衰弱していく一方だった。

 一向に記憶が戻らない。そして、教えた情報もすぐに忘れ去ってしまう状態。

「このまま、この状況が続けば…?」

 わかりきってる答えを聞こうとしているかもしれないが、カカシはそれをツナデに否定して欲しかった。

「…死ぬだけだね」

 けれど、ツナデの答えはカカシの考えを肯定するだけでカカシになんの救いも与えなかった。冷たく聞こえる答えにカカシはツナデを睨め付けるが、ツナデは見たこともないぐらい辛そうな顔をしていた。

 ぎり、と親指の爪を噛んで、どうにかナルトを助けられないかと模索しているのだ。けれどどの文献を探っても、知識の隅々まで情報を辿っても、その方法は浮かび上がらない。

 諦めないと思っていても、ナルトの体は着実に衰弱していっている。今、方法を模索している間にも。

「お前は、ナルトについててやりな」

 そう言うと、ツナデは再び分厚い医療書に目を通し始める。

「…わかりました」

 カカシは自分が酷く無力なように思えた。なにもナルトにしてあげることは出来なくて、ただ、傍にいることだけしか出来ない自分に。

 何度もナルトに語った思い出が眩しすぎて、横たわるナルトがまるで別世界にいるように見えた。けれど、それは紛れもない現実なのだ。目を逸らしてもなにも解決しない。

「…ナルト…」

 眠るナルトを見つめながら、カカシもうとうとと眠りの世界に落ちていった。













 あの人は、誰?

 夢の中でナルトは誰かに問いかけた。

 けれどその答えは返ってくることはない。

 真っ暗な闇の中に、ぽつんとたたずむ桜の木からはらはらと花が散っていた。

 それは病室の窓から見える桜の姿だった。









 薄いピンクに色づいた花びらがひらり、と風に乗せられてナルトの手のひらに舞い降りてきた。

 ナルトは力無くその花びらを握りしめる。すでにナルトの体は起きあがることすらままならない。

 酷くなっていくだけの怪我に、食事はおろか栄養剤すら受け付けない体。

 緩やかに死に向かっていっているナルトの傍を、カカシは一時だって離れようとはしなかった。

 ナルトは握りしめた花びらをそっと、カカシに差し出した。

「なに?俺にくれるの?」

 カカシに言葉に、ナルトは小さくうなずいた。その顔には笑みさえうかんでいる。それは、ナルトが記憶を失ってから見せる初めての笑顔だった。顔は紙のように白くて、以前のような笑顔とはまるで違ったけど、ナルトが笑顔を見せてくれたことに、カカシは胸が熱くなる。

 差し出された一片の花びらを、カカシは「ありがと」と言いながら受け取った。小さな桜の花びらを見てカカシはふと、昔のことを思い出す。





 桜の花びらが散ってるときそれを空中でつかめたら幸せになるんだって。





 まだ桜の蕾がほころび始める前、カカシがそんな話をナルトにしたのを思い出した。

 たわいもない作り話のような迷信にナルトが表情を輝かせていたのを覚えている。桜が散り始めたら絶対に掴むんだと言いながらはしゃいでいたナルトを。





「幸せに、なれるんだよね」

 そう言いながらカカシはそっとナルトの頭を撫でた。ナルトは頭を撫でられる感触にくすぐったそうに目を細める。

 そんなナルトを見て、カカシも久方ぶりに笑みを漏らす。





「カカシせんせー」





 小さな小さな声で、ナルトはカカシのことを呼んだ。

 唐突なその出来事に、カカシは驚いて目を見開いた。

















 最後になって、たった一人だけ思い出した。

 俺の大事な人。

 誰よりも大切な人。





 忘れちゃっててごめんね…。







 桜を掴んだとき、誰かが幸せになれるよ、と教えてくれたことを思い出した。

 銀色の髪で、顔の半分以上が見えなくて、毎日イチャパラ読んでて、遅刻魔で、どうしようもない人だけど、優しくて、温かくて、こんな俺を抱きしめてくれる人。俺の大事な人のことを。







「カカシせんせー」

ナルトがその名前を呼ぶのに澱みはなかった。

「ナルト…?!」

「カカシせんせー」

「ナルト…っ」

關を切ったようにナルトの口からカカシを呼ぶ声が紡がれる。カカシは呼ばれる度にナルトの体をきつく抱きしめてキスを落とす。

唇に、頬に、瞼に、全て余すことなく口づける。ナルトの痩せた体を今にも壊しそうなくらい抱きしめているのに、その唇は溶けるように優しくナルトに落としていた。

「ね…カカシせんせー。桜、掴めたってばよ…?」

「うん、うん…そうだね」

カカシはナルトを抱きしめたまま、こくこくと頷いた。

「…しあわせに、なれるんだってば」

カカシはナルトに渡された小さな桜の花びらをぎゅっとにぎりしめる。

「…それ、カカシせんせーにあげるね?俺ってば、もういっ…ぱい幸せだから」

震えるナルト手がカカシの背中に回される。ナルトの眦は涙で濡れていた。

「俺だって、幸せだよ。ナルトがそばにいて、こうやって抱きしめたら抱きしめ返してくれるデショ」

そうカカシが言うと、ナルトは小さく、切なそうに微笑んだ。

その瞬間、カカシは片方の手をナルトから離し、空を掴んだ。

いきなりのカカシの行動に、ナルトは不思議そうにカカシを見上げる。

「ほら、俺も掴めたよ。ナルトにあげるね」

ナルトから少しだけ体を離して、掴んだ花びらをナルトの掌に乗せた。

手渡された花びらを見てナルトは幸せそうに微笑んだ。そして、それをきゅっと軽く握りしめると再びカカシの胸に頬を埋める。二人に会話はなく、ただ桜が風にざわめく音を聞きながら穏やかに時間は過ぎていく。

「…カカシせんせー」

「うん?」

「大好きだってば」

「俺も、ナルトのこと大好きだよ」

「…桜の花も大好き。だって、カカシせんせーを幸せにしてあげれるでしょ?」

「…そうだね」

ナルトの瞳はうとうとと閉じられそうになっていて、夢を見ているような目でカカシと桜をみつめていた。

「カカシせんせーの上に降る桜になりたいな…」

花びらを沢山降らせて。少しでも幸せをあげられるなら。











花びらが力無く放られたナルトの掌から、はらりと零れ落ちた。

カカシに全てを預けるようにナルトの体も崩れ落ちる。

カカシは何も言わず持ち主を失って軽くなった体を抱きしめる。ただ、きつく抱きしめて、きつく唇を噛み締めて、声も出さずに涙を流した。



















桜が今年も鮮やかに咲いた。薄いピンクをした花びらがカカシの上に降る。

そっと手を差し出せば、花びらは吸い寄せられるようにカカシの掌にひらり、と舞い降りた。

カカシは顔を覆っていたマスクを下げると、掌に乗せた花びらに小さく口づける。愛しい子供に愛を告げるために。

ふと、桜の木を見上げるとナルトの笑顔が見えた気がした。

















きっと来年も桜は咲いて自分の上に降り注ぐのだ。















 来年もその先も、自分が生きている限り。

















いつか、土に還る日まで。




















記憶喪失話。死にネタ注意。       

        


めずらしく後追いしないカカシ。
桜の花が掴めたら幸せになれる云々は私が中学の時に友達の間で流行りってたんです。
なんかふっと思い出したので書いてみました。


2004/07/07