目を開けると白い真っ白な部屋。
消毒液の匂いが鼻をつく。
そっと外には桜が舞っていた。もう葉がつき始めていた桜の姿に少しだけ切なさを覚えた。
さくら
どれくらいまた意識を失っていたのだろうか、とナルトは働かない意識の中でそう思った。ずっと意識を失ったままで一日中眠ったままのときもある。
崖から落ちて、病院に運び込まれたんだと担当の医師から聞いた。あちこち怪我をしていることからそうなんだろう、とナルトは納得する。
覚えてなんて、いなかったけど。
かちゃり、と小さな音を立てて病室の扉が開かれた。銀色の髪をした男が果物を抱えて毎日ナルトのもとにやってくる。
「ナルト、具合どう?」
にこにことしながら男はベットの傍にあった椅子に腰掛けた。
「今日、イルカ先生も来るって言ってたよ」
「サクラとサスケは明日顔を出すってさ」
「今日はね、ちょっとだけ外に出てもイイって」
「りんご食べたら散歩しようか」
器用にリンゴの皮を剥きながら男はナルトに話しかけている。そんな様子をナルトはただ見つめていた。
「…誰?」
男の体がびくっと震えて皮を剥く手が止まる。悲しい顔をして顔を上げた男は、剥いているリンゴを近くにあった机に置くとナルトの手を取った。
握られる手にナルトは抵抗することもなく、ただされるがままだ。不思議そうに男を見つめていた。
悲しそうな目で見つめられても、ナルトにはなにがなんだかわからない。今初めて会ったのに、どうしてこの人はそんな目で自分を見つめるのだろうかと、不思議に思うだけだった。
「…どうして……」
ぎゅっと、力強く手を握りしめている男の手を握り返すと、その手に、男の涙がこぼれ落ちた。声もなく涙を流す男の姿に、胸の奥が疼く。なんだか懐かしいような感情。
半分以上隠れた顔に、銀色の髪。握る手の温かさを知っているような気がするが、思い出す気配はない。
握られた手の温かさと、滑り落ちていく涙の冷たさを感じながらナルトは再び意識を手放した。
嘘だと、思った。最初はなにかの冗談だと。
いくらナルトが少しドジとはいえ仮にも忍者なのだから崖から落ちるなんてそんなことありえない、と。
病室に横たわっているナルトをみてそれが真実なのだとやっとわかった。小さな体にたくさんコードが巻き付けられていて、青白い顔をしたナルトはなかなか目を覚まさず、時間だけが過ぎていく。
やっと目を覚ましたとおもったらナルトは全てを忘れていて、自分のことはもちろん、イルカやサクラ、サスケのことも、忍びであることすら忘れていた。
「…誰?」
聞き取れないくらい小さな声だったはずなのに、その声はカカシの中で大きく響いた。虚ろな青い目にカカシの姿は映っていない。
「…覚えて、ないの?」
絞り出すようなカカシの声にナルトはこくり、と小さく頷いた。
一瞬、ナルトの肩を掴んで何故、と問いただそうとしたが、今の状態のナルトを責めたり、失った記憶を無理に取り返そうとしたりしてもそれはナルトを混乱させるだけだとカカシは思いとどまった。
叫びたいほどの気持ちをとどめて、カカシはナルトに今までのことを少しずつ話していくが、ナルトはいまいち要領を得ないようで表情を変えることはない。
ナルトが好きなラーメンの話しをしても、大好きなイルカの話しをしても、サクラの話しをしても、ナルトは虚ろな目をしてカカシを見つめているだけだった。
「…俺の名前は、カカシだよ。はたけカカシ」
「…カカシ?」
自分の名前を言ったとき今まで無反応だったナルトが反応を示す。
「そう、カカシ。ナルトはね、いつも俺のこと『カカシせんせー』って言ってたよ」
穢れも、痛みもしらない眩しい笑顔で。
ときには元気に走ってきていきなり抱きついてきたり、ときには遅刻した自分を怒ったりして、どんなときも舌っ足らずな呼び方で。そんなナルトの呼び方に悪い気はしていなかった。それどころかたまらなく愛しくて、抱きしめたくてしかたなかった。
「……」
「無理に思い出さなくても、そのうち思い出すよ」
思い出そうとしているのか、ナルトは少し眉根を寄せた。その表情は辛そうに見えて、カカシはすぐに思い出させるのをやめた。
時間がナルトに記憶を取り戻させると思っていた。それは希望的観測かもしれないが、ナルトの苦しむ顔は見たくなかったのだ。それが、例え自分のことを思い出そうとしているとしても。
そしてそれは本当に「希望的観測」でしかなかった。
再びナルトの部屋を訪れたカカシを目にしたナルトが口にした言葉は。
「誰?」
こんな、残酷な言葉だった。
続