ソライロ





窓の外、青空を見上げてカカシは柔らかく微笑んだ。

澄み切った空の青はある子供を連想させる。

一点の曇りのない青の瞳。太陽のように眩しくて、まるで「空」をそのまま人の形にしたような子供を。



「…ナルト…」





カカシはぽつりと、けれどとても幸せそうにその子供の名前を呟いたのだった。













ソライロ













「カカシせんせー!」

遠くから呼ばれる声に、カカシはふと足を止めた。

振り返らなくてもその声の持ち主はわかる。どたばた騒がしい音を立ててやってくるのは空色の目を持つ愛しい恋人。

「ナルト…たまには忍者らしく現れなヨ」

飛び込んで来るナルトを優しく抱き留めながら、カカシは呆れたように、でもとても愛おしそうにナルトに囁いた。

「だってさ、だってさ!カカシせんせー足はえーから走んないと追いつけないんだってばよ!」

少しだけ乱していた息を整えると、ナルトは照れくさそうに笑った。

「それよりも、どうかしたの?そんなに慌てて」

「ううん!せんせーが見えたから急いできたんだってば!」

 きゅっと、ズボンの端を握っていたナルトの手を外して、カカシは自分の手を握らせる。

「じゃあ、一緒に帰ろっか?」

「うん!」

 満面の笑顔を浮かべて頷いたナルトの手を引いてゆっくりとカカシは歩き出した。

 歩いている間もたわいのない話をして、ナルト大げさなくらい手を振り回している。けれど、繋いだ手は決して離れることはなく、カカシはそんなナルトを愛おしそうな目で見つめていた。

 カカシの手にすっぽり収まるくらいの小さな手をしっかりと握って二人は家路についた。











 小さな手を握る感触が、ふとカカシによみがえる。

 けれそそれはとても儚いものですぐに消え去ってしまう。



「…ナルト…?」









 ひたすら呟くのはナルトの名前だけ。

 ひたすら見つめるのは窓から見える切り取られたような青い空だけ。













 その日の木の葉の天気は、どんよりとした灰色の雲が膜を作っていた。

 青い空はその雲に覆い隠されている。

「ナルト、遅いなぁ…」

 朝早く出かけていったナルトが日が暮れようとしているのにまだ帰ってこない。

 今にも外は飴が降り出しそうだ。

「…どこに行くって言ってたっけ」

 そういえば、ナルトは行き先を告げなかった。

 一緒に行っちゃだめ?って聞いたら、すごい勢いで「ダメだってば!」って断られて。

 そのまま一人とりのこされた。

「迎えに、いこうかな」

 どこにいるかもわからないのに、カカシはそう思い立つと家を出た。

 胸騒ぎがしてなんとなく落ち着かない。

 降り出した雨がまたカカシの不安を煽る。次第に強くなっていく雨は、まるでカカシを足止めしようとせんばかりの勢いだった。

 もしかしたら、家に戻ってるかもしれないと思いカカシは一旦家へと引き返すが、光の灯っていない部屋が無人だと告げていた。

「…ったく、こんなに雨降ってるのに…」

 傘もささずにカカシはナルトを探し回っていた。ナルトが行きそうなところは全て見回ったはずなのに、どこにも、ナルトの気配すらない。

「カカシ先生?」

 濡れた前髪をかきあげたとき、不意に声をかけられる。

 振り向くと、そこには傘をさしたサクラが立っていた。

「サクラ、ナルト見なかった?今朝から出掛けたままかえってこないんだよ」

「ナルトなら、火影様の屋敷に入って行くの見かけましたけど?」

「いつ?!」

「…買い物にでかけたころだったから…30分くらい前だったかしら」

「わかった、ありがと」

 そっけなくサクラに礼を言うと、カカシはその場を後にした。

 慌てて走っていくカカシを見送るサクラは、なぜだか酷く切な総な瞳をしていた。

「…ナルトとの約束、やぶっちゃったな」

 ぽつり、とサクラはつぶやいた。

 ナルトが火影の屋敷に入っていくのを見た、けどそれだけじゃない。

 サクラに気づいたナルトが、必死な瞳をしてこう言ったのだ。

『俺を見たこと、カカシせんせーには言わないでってば!』

 今にも泣きそうなくらい必死な瞳。思わずそこで頷いてしまったけど、ナルトと同じくらい、必死なカカシを見て言わないわけにはいかないだろうとサクラは思ったのだ。

「…大丈夫、よね…?」

 不安げにサクラは呟いて、その場をあとにした。心に蟠る不安は拭えずにいたけども。













 息を切らせて火影の屋敷にたどり着いたカカシは、そっと中へと忍び込んだ。

 いつもとはちがい、ぴりぴりと張りつめた空気にカカシの嫌な予感を抱かずにはいれなくしていた。

 ひやりとした屋敷の空気に混じって、僅かだがナルトの気配を感じる。神経をとがらせないとわからないくらい微かにだが。

 普段はあきれるほど気配を消すのが下手なくせに本当は7班の誰よりも、いや下手したらそこら辺の暗部よりも気配を隠すのがうまいかもしれない。

 ナルトがここまで存在を気取られないように動く理由はなんなのだろうか。

 カカシもまた気配を殺しながらナルトを探す。それにしても屋敷には不気味なくらい人の姿がない。姿だけでなく気配すらない。薄暗い廊下には明かりも灯っておらず、それが更に不気味な雰囲気を盛り上げていた。

「…なんだ…あの扉は…」

 しばらく屋敷を歩き回ったカカシが見つけたのはたくさんの呪符が貼られた扉だった。

 赤黒い色で書かれているその呪符はおそらく血で書かれたものだろう。

 扉は微かに開いていてそこからは光が漏れていた。ぼそぼそと話し声も聞こえてくる。

 それは紛れもなく探していた子供の声だった。





「もう、これ以上抑えんのは無理だってば」

 カカシが見ているほうからはナルトは背を向けているのでその表情は見えていない。けれど酷くか細い声をしていた。

「…だから…」

「ナルト!」

 ナルトの言葉を遮るようにカカシは激しく扉をあけた。

 言葉の続きはおそらく一番聞きたくない言葉。

「カカシ、せんせ?」

 ナルトは声がした方を振り向いてぽつりと呟いた。

 なぜ、ここにカカシが居るのだろうか。思わずカカシに視線をあわせてしまった。

 カカシはナルトの顔を見て驚愕に瞳を見開いた。

「な…ナル…ト…?」

 まるで問うようにカカシは呆然と言葉を発した。

「…みないで…!」

 痛いくらいのカカシの視線にナルトは頭を抱え込み座り込んだ。

 一瞬だけ見えたナルトの顔。涙を湛えたその瞳は





 確かに赤い色をしていた。













 大陽が段々と西へ沈んでいく。夕焼けの赤い色が青い空を浸食するように塗りつぶしていく。     

「ナルト…」

 赤に染まっていく空を見上げてカカシは一筋涙を流した。幾度こんな色の空を見上げて涙を流しただろうか。

 赤い空を見上げると心がざわついてしかたない。

 けれどいくら涙を流そうとも青い空を浸食していく赤色は止まるわけがなく、やがて青い空を完全に飲み込んでしまった。

 どれだけ心が痛くても、流れ出る涙がとまらなくても、カカシは赤い空から目を逸らすことはない。





 青い空も赤い空も、カカシにとって『総て』なのだから。













「見ないで…!」

 突然現れたカカシからとっさに瞳を隠す。

 まがまがしいくらいに赤い色をした瞳を。

「ナルト…顔、見せてよ…?」

 カカシの言葉にナルトはいやいやといったように首をふる。

「ナルト…ねぇ…」

 床一面に描かれた人の上を横切り、中央に位置するナルトの方へゆっくりと近づいていく。

「せん…せ、カカシせんせーにだけは、見られたくなかったんだってばよ…」

 カカシが肩を掴もうとした瞬間、ナルトは震える声で言った。

 見られたくなかったから、ずっと黙ってた。

 言えなかった。

 言えなくて、それがとても苦しくて。

「なんとかなるって…そうなったら言おうって…大丈夫だったってばよ、っていいたかったんだってば」

 結果は、赤い色に浸食された空色の瞳が物語っていた。

「ごめんね…せんせー」

 好きだと言ってくれた青い瞳はもう帰ってこない。

「せんせーが、俺の瞳好きだって、空みたいだって言ってくれたの、ホントにうれしかったってば…!」

『ナルトの瞳、大好きだよ』

『空みたいだよね』

『空をみたら、いつもナルトのこと思い出しちゃうよ』 

『いつも、ナルトがいるみたいで』

 思い出すだけで涙が出てきそうなくらい嬉しい言葉。

 けど、たとえ自分のことを思い出すとはいってもずっとずっと、カカシの傍にいられる空が今ではうらやましい。

「…なんで…過去形なの?」

 振り向かないナルトの細い肩を抱きしめてカカシは問いかけた。

 抱きしめたカカシの腕にぱたぱたとあたたかい液体がこぼれ落ちる。

「…俺は…っ」

 カカシが何かを言おうとした瞬間、ナルトがカカシの方を振り向いた。

 赤い目がカカシをまっすぐと見据えていた。

 ぎくり、とカカシは身を固くする。さっきは一瞬しか赤い瞳が見えなかったが、正面からまじまじと見つめると禍々しいくらい赤いのがわかる。

「…ごめんね…」

 涙を流すまいと、ナルトは必死に唇をかみしめた。けれど溢れてくる涙は止めることはできなかった。

「…ナルト?」

 赤い目に見つめられてだんだん体の力が抜けていく。

「俺のこと、忘れて?」

 ナルトが一言発したとき、すぅっと、頭のなかから何か抜けていく感触がカカシを遅う。

「…なる…と…」

 離れていくナルトの躯と、それを追い掛けることが出来ないでいる自分。

 ぼやけていくカカシの視界の中で、ナルトは微笑んだ。

「…大好き…」

 無理矢理に笑ったようなナルトの笑顔。震えた声で伝える言葉を、忘れることなんてできないと、カカシは思った。



















 日が暮れて、空は闇色に包まれる。

「…おやすみ、ナルト…」

 ぽつり、と呟くカカシの記憶にナルトの姿はない。





 顔も声も思い出せない心にあるのは空色の記憶だけ――。













終           







死にネタ風味。          

       



10万HIT記念のSS。
アンケートをとらせて戴いて一位が死にネタでした。
いつも読んで下さってありがとうございます!


2004/04/01