「君を監禁したいと言ったら、どうする?」
突如、訳のわからないことをロイが言い出した。
いきなり何を言ってんだ、とエドは心の中でつっこんだ。答えるのも馬鹿馬鹿しいと
いったようにエドは肩を竦めた。
「…答えがないのは監禁してもいいということかね?」
黙っていたら本当に監禁しかねない勢いだ。ロイの視線は一直線にエドに注がれていた。たまに、エドはロイのことを怖いと思ってしまう。きっとそれはこういう瞬間なんだろう。
思わず、エドはロイから視線を外してしまう。ロイの視線をまっすぐ見返すことが出来なかった。
「…なんで、いきなりそんなこと言い出すんだよ」
目を逸らしたまま、エドは口を開いた。ロイの視線はまだエドに注がれたままだ。瞬きもせずにエドを見つめていた。
「君がどこかに行っては危ない目にあって帰ってくるだろう」
「しょうじゃねぇじゃん。覚悟の上だろ」
しょうがない、そう言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
エド自身がそれをロイに話すことはないけど、どこからともなくロイの耳に届くのだ。
聞く度に不安で仕方なくなる。離れていればなおのこと無事な姿でいるのか、自分のもとに帰ってくるのかと不安で仕方ない。
帰ってくる、という表現すらしていいのかわからなくなるときがある。
「…不安なんだよ」
ぽつりと漏らした一言が、エドの視線がロイに戻った。
「情けないと思うかもしれないが、怖いんだよ、君がいなくなることが」
そう言うと自嘲気味に笑った。ロイの瞳には不安そうな色が写っていた。思い詰めたような感情と一緒に。
「俺はいなくなったりしねぇよ。監禁も勘弁してくれ。俺はアルと一緒に元の体にもどんないといけないんだからな」
どんなことをしても元の体に戻ってみせる。軍の狗だって?上等じゃねーか。
例え、死にそうな目にあっても。せめて、弟の体だけでも元に戻せる日まで。
死ぬわけにも監禁されるわけにもいかない。
ぎし、と音を立ててロイは座っていたソファーに寄り掛かる。
いつもは自信満々で偉そうにしているロイが、覇気のない様子で肩を落としている。
あたりにはと痛いくらい沈黙で静まりかえっていた。
「…いっそ、君を知らなかった頃の自分に、戻りたいよ。エドワード」
なにも知らなかったあのころに。
こんなに胸を焦がしたことなんて、不安に胸を痛めることなんて知らなかった頃に。
エドと出会うまで、自分が、不安で胸を痛めるなんて日が来るとは思っていなかった。
それなりに恋愛をしてきたつもりだったが、エドとの恋愛は昔体験したどんな恋愛とも違う。まるで体にも心にも焔がついたように熱いのだ。 自分は、昔はこんなんじゃなかったはずなのに。
「…なら忘れればいいだろっ!俺のことなんか!」
ロイの呟いた一言を聞いて、エドは怒鳴りつけて座っていたソファーから腰を上げてドアの方へずかずかと歩いていく。
「え、あ!待つんだ!エドワード!!」
「もうしらねー!さいなら!」
「エド!」
ロイが呼び止めるのも聞かずに、エドはばたん!!とたたきつけるように扉を閉める。
「…最後まで話を聞いてから怒ってくれ…」
エドを追いかけることができなくて、伸ばした手の行き場がないロイはその手をぐっと握りしめた。
※※※ 「アル!宿に戻るぞ!」
「え…どうしたの兄さん?なに怒ってるの?」
身体中から怒りのオーラを発散しているエドを見て、アルは不思議そうに首をかしげた。
「別に怒ってなんかねーよ!」
「…怒ってるじゃん…。また誰かにちっさいとか、豆とか言われたの?」
「喧嘩売ってんのかお前は!!」
「えー違うのー?じゃあ大佐にセクハラされたとか?」
がいんっっ!!
アルの鋼鉄の体を、エドは思いっきり殴りつける。
「今俺の前であのバカ大佐の話すんじゃねぇ……!」
あまりの兄の迫力に、アルは思わず黙り込んでしまう。今のエドはまるで逆毛を立てた猫みたいにぴりぴりとしている。ちょっとでもからかえば本気で怒り出しそうだ。
(こういうときの兄さんには何も言わないでおこう…こうなると大変なんだよなぁ)
と思いながら思わず、兄の不機嫌の元であるだろう大佐のことを恨んだ。
エドからは不機嫌なオーラが絶えず漏れていて、アルはずかずかと歩いていくエドの後ろをただ黙ってついて行くだけだった。
納得できないのは、怒っているエドに対してロイが追っかけたり、言い訳しながら謝ったりしてないことだ。いつもなら見苦しいくらいにエドにすがっているのに。
そんなことを思っているとき、ぴたり、とエドの足が止まった。ふとアルが顔を上げるとそこにはロイが立っていて、エドの行く手を阻んでいた。
「…どこに行くつもりだね?」
「アンタには関係ない」
ふいっとエドは大佐から視線を外した。アルはおろおろしながら二人の会話を聞いている。どちらもなんだか不機嫌で、下手に口を出せない。
「…話を、聞いてくれないか?」
言いながらロイはエドの方に一歩踏み出そうとした。
「聞きたくなんかない」
今度は、二度と会いたくないとでも言われるのだろうか。
ぎり、とエドは右手を握りしめた。
そんなことを言われることをどこか怖いと思ってる自分がいる。さっき怒ったのだって、認めたくはないのだけど、まるで自分だけがロイを好きみたいで悔しい。というかむかつく。話なんて聞きたくない。
「だから、そこどいてくれよ」
エドがそう言うと、ロイが一歩引いたかのように見えた。
「残念ながら、今君を帰す訳にはいかないんでね」
つかつかとエドの方に歩み寄っていくと、エドを米俵のように抱えてロイは自室へと引き返していく。
あまりにも突然の出来事に、エドは抵抗するのすら忘れてしまう。
「…アルフォンス君、しばらく鋼のを借りるよ」
「あ、はいー…仲直りしてくださいね…」
「は……!なに抱えてんだ!おろせ!おろせって!アルも、止めろよっ!」
アルの言葉を聞いて、エドははっとなりじたばたと暴れ出した。だけど、不安定な体制ではうまく力が入らなくて思うように抵抗できない。
アルはアルでのんきに手を振りながらエドトロイを見送っている。
「おろしたら逃げるだろう?私は捕まえた獲物をみすみす逃すつもりはない」
誰もが呆然と見守る中、ロイは足早にエドを連れ去っていく。
時折すれ違う人たちの注目を浴びながらようやくロイの私室にたどり着いた。あわただしくとびらを開け、しっかりと鍵を閉めるとようやくロイはエドをソファーの上に降ろす。
抵抗するのも面倒になったのか、エドはおとなしくソファーに腰を下ろす。
「…っとみせかけて!!」
エドはダッシュで扉の方へと駆けていく。ぱんっっと軽い音をたてて手のひらをあわせ、新たに扉を作ろうとしたが。「予測済みだ」
にやり、と意地悪くロイは微笑むと走り出したエドの足の前に素早く己の足を差し出した。
「うわっっ…!」
あっさりとエドはその足にけつまづき態勢を崩す。
床に倒れそうになったエドの腕を掴むとロイは自分の方に強引に抱き寄せた。だがうっかりロイ自身も体勢を崩し、エドの体を抱き抱えたまま床に倒れ込む。
「…今日は格好悪いところばかりだな」 ぽつり、とロイが漏らす。その呟きは自嘲するような響きを持っていた。
そうしてる間もロイはエドを離そうとしない。まるで閉じ込めるかのようにきつくエドを抱き締める。
「っ…いてぇよ…」
抱きつぶしそうな勢いのロイに、エドは非難の声をあげる。機械鎧が軋むくらいロイはエドを強く抱き締めていた。
「君が私から逃げようとするからだ。本当ならずっとこうやって閉じ込めておきたいよ」
誰の目にも触れさせず、エド視界に自分だけしか映らなければ、どれだけいいだろう。そんなことができるわけがないだろうけど。
「そうすれば私もいくらかは安心できる」
そこまでしても拭いきれない不安の二文字。手に入れた瞬間、指の隙間からすりぬけて行くかもしれない。まるで掌ですくった水みたいにさらさらと足元に落ちて行きそうで。
だから閉じ込めたい。自分のエゴだとわかっていても。
今自分は情けない顔をしてるんだろうな、と思い、ロイは苦笑する。
「なに」
「ん?」
「なに笑ってんだよ…離せよ」
ぎりっと、エドは唇を噛んだ。悲しいことだが、この体格差ではどんなに抵抗しても敵いそうにない。
「…俺のことなんて、どうだっていいんだろ」
ふい、とエドはロイから視線を外す。異聞で言った言葉なのに、何故かそれに酷く傷ついている。
あの日から、流れないはずの涙が溢れてきそうになる。ツンと鼻の奥が痛み目頭が熱くなった。
「そんな泣きそうな顔はしないでもらいたいな。君のそんな顔をされると、どうしていいかわからなくなるではないか」
そっと、ロイはエドの金色の髪をなでた。その間もエドはロイから目を背けたままでいる。
いつもなら『泣きそうなわけねぇだろ!』なんて突っかかってきて蹴りの一つでも入れそうなものなのに、なんの反論もないことから、先ほどロイが発した不用意な発言がどれだけエドを傷つけたことか、ロイはやっと気がついた。
「エドワード、好きだよ」
「…っんだよ、いきなり」
不意に紡がれた言葉に、思わずエドは身を固くする。
いつも、そんな言葉に騙されそうになる。エドは決して先ほどのロイの言葉は忘れないのだ。
「とってつけたような言葉、いらねーよ」
付け足しのように紡がれる言葉なんていらない。それならばよほど「嫌い」だと「必要がないもの」だと切り捨てられた方がまだマシだ。
「君に出会わなければ良かった…」
ぽつり、とロイは呟いた。その言葉に、エドは微かに身を震わせる。
「そうしたら、私はこんなにも君を縛り付けてしまうようなこともなかったんだろうな…」
エドと共に行くことが出来ない己の立場。
遠く離れた場所でエドが傷ついてしまっても、手を差しのべることも出来ないなら、抱きしめてやることも、言葉を書けてやることだってできない。
「私は一番、君が離れていくことが恐ろしいよ」
一番恐れていることは、君がもとの体を取り戻し、国家錬金術師の資格を返上したときもう二度と会えないかもしれないと思うこと。
国家錬金術師という肩書きがあるときは、エドがロイの呼び出しに応じないなんてことはおおよそ出来ないはずだ。
けれどその肩書きを返上してしまえば、エドがロイの呼び出しに応じるかと問うなら答えは『否』かもしれない。
「アルフォンス君はともかく、君の体が元に戻ることを邪魔してしまうかもしれない」
いっそ醜いくらいの愛と独占欲で。
ぎり、とエドの体がきしむくらい、ロイは抱きしめた。
ロイの胸に顔を押しつけられたまま、エドはロイに聞こえるように大きなため息をつく。
「…邪魔なんてすんなよ。恨むぞ。だいたい、あんたなんにもわかってねーよ、大佐」
何とかエドはロイの体を押し返すと女木…胃はめられた手袋を外しロイの前に差し出した。
「…なぁ、俺の右手握ってみてよ」
そうエドに言われて、ロイは差し出された手を握った。硬い、金属の感触。
握られた瞬間、エドは悲しそうな表情を浮かべる。
「…鋼の?」
硬くなったエドの表情に、ロイは怪訝そうに声をあげた。
「わかんねーんだ。何さわっても、アンタに…こうやって手を握られても」
ロイの手のぬくもりも、その手の感触も、なにもわからないエドの右手。鋼の手は自由に動かせるけど、何ひとつ伝えてくれない。
「左手だけじゃなくて、その…なんだ…」
言っているうちに恥ずかしくなってきたのか、エドの顔がだんだん赤みを帯びてくる。暫くすると完全に黙り込んでしまった。
「続きを待ってるのだが…黙られてしまうと君は右手でも私に触れたいのだと勝手に解釈してしまうがいいのかね?」
いつもみたいに少しだけ意地悪そうに笑うロイを見てエドはさらに顔を赤らめた。
「っ…う…いきなり自信過剰なんだよ、大佐」
「だけどそれが真実だろう?」
ロイの言葉にエドはぎりぎりと悔しそうに唇を噛んだ。
ロイが言ったことは真実に限りなく近い。
触りたいだけじゃなくて抱きしめたい。ちゃんと血の通った温かい手と腕で。
こんなこと恥ずかしくてとてもじゃないけど言えないが。
「じゃあ、君を監禁するのは君が元の体に戻ってからにしよう」
「ざけんな。監禁なんて冗談じゃねーよ!」
話を蒸し返すロイにエドは盛大に声を張り上げた。
「それならこういうのはどうだね?」
ぐいっとエドを引き寄せて両の腕でつつみこむように抱きしめる。
「君が元の体に戻れたら、君の本当の腕で私を抱きしめてもらうとしよう。いいだろう?エドワード」
それで負けてあげるよ、なんて偉そうなことを言っているロイにエドは一瞬かっと顔を赤らめる。
「っ…!しょうがねぇからそのくらいはしてやるよ!」
ぷいっと顔を背けて言うエドにロイは思わず微笑みを浮かべる。
いつか、本当の君の手で抱きしめられるのを楽しみにしているよ。
エドには聞こえないくらい小さな声で呟いて、もう一度その体を抱きしめる。 暫くしておずおずとした態度でエドも腕をロイの背中に回す。
せめて側にいるときくらい閉じ込められててもいいか。
なんてロイが聞いたら小躍りしそうなことをエドは心の中で呟いた。
そう悪いもんでもないしな。
口が裂けてもロイに伝えることはないだろうけど。 その腕に囚われることは決して嫌なことではないのだ。
『好き』だとか『愛してる』とか言葉にするのは恥ずかしいから言わないけど一度くらいいつか言ってやってもいいや、なんて思いながらエドはロイの胸に顔を埋めていた。
終