Oblivion1



 

 ナルトが崖から転落した。

 そうカカシが聞いたのは久方ぶりの暗部の任務を終了させ帰ってきたときのことだった。

 ナルトが崖から落ちてからもう3日も経つという。

 未だにナルトの意識は戻らないままだった。

 命には別状はない、だがナルトは昏々と眠ったまま。

 頭には包帯が巻かれていた。所々できている打ち身、擦り傷にも痛々しく包帯が巻かれている。

 

 その全ては、九尾の力でとうの昔に治っているというのに。



 ナルトは身動き一つせず、ベットの中で死んだように眠っている。



 

 いつもバラ色の頬を紅潮させていたのが今では紙のように白い。いや、青白かった。

 空の青をそのままうつしたかのような瞳は瞼の内に閉じ込められている。

 いつも元気にはしゃぎまくっている体も、今はただ力無く横たわっているだけだった。

 イチゴのように赤くてふっくらとしていた唇も紫色に近かった。

 そして、どれだけカカシが「ナルト」と問いかけてもナルトの口は堅く閉ざされていて返事が返ってくることはなかった。





 目も口も意識も固く閉ざしたまま。

 まるで、起きることを拒むかのように。





「脳波に異常はないそうじゃ・・・体の方もほとんど完治しておる。じゃが・・・意識だけが戻らない」

 火影が重苦しくカカシにナルトの現状を伝えた。

 ベットに横たわっているナルトの手をカカシは再びぎゅっと力を込めて握った。

「・・・なぜ、ナルトは崖から落ちたのですか?俺がいない間は任務は休みだったはずです・・・修行をするとしても、そんなところで無茶をするような子じゃないはずだ・・・」

 押し殺したような声でカカシは火影に問いかけた。

 視線はナルトに向けられたまま。

 ナルトがもし、崖から落ちなかったらとろけるような笑顔で「おかえり」と言ってくれているはずだった。

 けれど今目の前にいる子供は、固く目を閉じて眠っているだけ。

「・・・12年前の九尾を憎む者の憎しみの念は深いということじゃ・・・」

 ただ、それだけを火影は告げた。

 ナルトが崖から落ちた後、事の全てを水晶で見た。

 ナルトを崖から突き落としたのは里の一般人、中忍その数合わせて10名ほど。

 即刻身柄を拘束し、厳重な処罰を与えている。



 だが、その者たちが傷つけたのはナルトの身体だけじゃない。

 心をも引き裂いた。



 ナルトに投げつけられた罵詈雑言。

 全ては聞き取れなかった。一部だけ聞き取れなかったところにナルトの顔に絶望の色が広がったのが見えた。

 一瞬にしてナルトの瞳に闇が映ったのが火影には分かった。

 あのときに、ナルトが崖から落ちる前に気が付いていれれば、火影自らナルトを助けに乗り込んでいただろう。

 しかし、火影自身が気付いたのは全てが終わった後。ナルトが崖から落ちて数時間後のこと。

 崖下で血まみれになり、横たわっているナルトを見たときには自分の失態を悔やんだ。

「・・・誰が、ナルトをこんな目に・・・・!!」

 一気にカカシの殺気がふくれあがった。

 自分にとって、ナルトは自分の命よりも大事な存在。自分が生きている、存在している理由。

 それほどにカカシにとってナルトは愛しい存在であった。

「言えば、お主はその者たちを殺すであろう?儂がすでに厳しい処分を与えておる。」

「それでは、ナルトをこんな目に合わせたヤツは今でものうのうと生きていると言うことなのですか?!」

 カカシは声を荒げて火影を問いつめた。

「のうのうと生きていられるような甘い罰ではないわ・・・。儂の言いつけを破り、禁を犯した者たちじゃ・・・それ相応の罰を受けておる」

「・・・ナルトの意識が戻らなかったら、そいつらを全員、殺してやる・・・」

 昏い声でカカシは絞り出すように呟いた。

「お主がそんなことでどうするのじゃ。ナルトは必ず目覚める。お主が支えてやらんかい。」

 そう火影は言うとナルトの病室を出ていった。

 その場にはカカシとナルトだけが取り残される。

 眠ったままのナルトのそばをカカシは一瞬とて離れようとはしなかった。

 ナルトの目が覚めて、一番最初に「おはよう」と言うために。











 そして、2週間が過ぎた。相変わらずナルトは目が覚めなかった。

 入れ替わり立ち替わりナルトの身を案じる人間がナルトの元を訪れた。

 イルカは日参し、カカシが帰ってきてナルトのことを初めて知らされたサスケとサクラも頻繁にナルトの病室を訪れていた。

 最初にカカシから聞かされたときは、サスケもサクラも何の冗談だろう、と思った。

 サスケとサクラはナルトが崖から転落する1日前にカカシが帰ってくるまでにチームワークを養う、という理由で一緒に修行したのだった。

 ベットに横たわるナルトを見て、サクラもサスケも言葉をなくした。

 数日前まで元気に走り回っていたナルトが、今では体中に包帯を纏い、青白い顔をしてベットに横たわっていた。

 いつも見ているナルトとは別人のようなその姿。

 サクラが「ナルト」と呼びかけても

 サスケが「ドベ」と呼びかけても

 眉一つ動かさず、もちろん返事も返ってこなかった。

 カカシも毎日毎日何度も「ナルト、起きて」とナルトに向かって懇願しても、やはり目は閉じられたまま。起きる気配もない。

「・・・どうして・・?ちょっと前まで一緒に話したりしてたのに・・・!」

 サクラは何の返事も返ってこないナルトを見て涙を流した。

 その後も8班、10班の下忍とアスマと紅が訪れたがナルトの反応は全くなかった。

 どの人間も、ナルトを見て言葉をなくした。

 そして、事情を知っている紅やアスマはナルトをこんな風にしたヤツらに心から怒りを覚えた。

 再度検査した脳波にも全く異常は見られず、ただ目を覚まさないと言う状況に、一同はこのまま目が覚めないのでは・・・?という懸念を拭いきれなかった。

 







 ナルト

 

 ナルト



 ナルト

 

 ナルト



 あの人の声。



 アノヒトって誰?





“お前は 化けギツネだ”



 知ってるってば、そんなことは俺が一番。



 3本の両頬の筋



 すぐに治る傷



 チャクラを練ると赤黒く浮かび上がってくる腹の紋様



 我を無くすと赤く変貌する自分の瞳



 どうして、あの人が好きだと俺に言ってくれているか、いつも疑問に思っていたけど



 

“カカシ上忍も面白い遊びを思いついたものだな!!”



“化けギツネを手懐けて、手懐けた所で捨てる。面白い遊びだとは思わないか?お前も”



“カカシ上忍がお前と一緒にいるのはな、九尾が封印を解こうとしたらお前を殺すためだぜ?”



 チガウ

 

 キキタクナイ



“あの人は誰よりも九尾を・・・お前を憎んでる・・・お前の死を望んでいるんだ!”



“あの人は、お前を殺すとき、こう言うだろうな”



 いつもと同じ笑顔で

 微笑んで



“サヨナラ ナルト(キツネ)”



 

 好きだって言ってくれたのも

 微笑みかけてくれたのも

 キスをしてくれたのも

 俺を抱いたのも



 全て。











 こういうこと、だったんだね 













 とんっと肩を押した中忍の顔がカカシにすり替えられる。

 

 アトは闇の中に真っ逆さま

  

 ところどころから突き出ている気に服や体を裂かれても不思議と痛みは感じなかった。

 意識の中にあったのは





『このまま死ねればいいのに』  





 地面に叩きつけられて、それでも生きていると分かった自分に誰かが囁いた。



『忘れてしまえばいい』



『愛していた記憶も』



『存在すらも』



『忘れてしまえばいい』



『そして、近寄らなければいい』



 その声が聞こえて、ゆっくりと意識を手放して目を閉じた。













 ナルトはゆっくりと目を開けた。

 目に映っているのは見覚えのない天井。

 ベットの周りはカーテンに囲まれている。

 鼻を突く匂いは消毒薬の匂い。

 ゆっくりと、起きあがると節々が痛かった。

「いてて・・・・ここ、どこだってばよ・・・」

 ポツリと呟いても一人きりだから誰の返事も返ってこない。

 カカシは丁度出かけていたところだった。

 きょろきょろとしていると窓から温かい風が入ってきていた。

「ん~っっっ」

 背伸びをすると体中がバキバキいっている。

 そしてまたころん、と寝転がろうとしたときにがちゃり、とドアが開いた。

 ナルトの洗濯物を抱えてイルカがしゃっとカーテンを開けた。

「イルカせんせー!!!」

 カーテンを開けたイルカに、ナルトは飛びついた。

 さっき見たときは確かに眠っていたナルトがいきなり飛びついてきたことにイルカは驚いて一瞬固まってしまった。

「な、ナルト?!」

「ねぇ、イルカせんせー、どうして俺こんな所で寝てるんだってばよ?」

 驚いているイルカにナルトは気が付かず、ぎゅっと腕にしがみついたままイルカに問いかけた。

「・・・お前、崖から落ちたんだぞ?覚えてないのか?」

 イルカはナルトの顔を見ながら問いかけるが、ナルトは少し考えて、ふるふると首を振った。

「・・・そうか、覚えてないのか・・・・・っと、そうだ!!カカシ先生たちに知らせてくるからちょっと待ってろよ。すぐ来るからな」

 そう言ってイルカはナルトから身を離し、あわただしく病室を出ていった。

 残されたナルトは少し首をひねる。

 イルカのいなくなった病室で、ナルトは再びベットにごろんと寝ころんで天井を見つめる。

 崖から落ちた?

 確かに体の節々は痛いし、頭に包帯が巻かれているから怪我をしたのだろうと、ナルトは納得した。

 そして数分経ったころ、再びあわただしい足音が聞こえてくる。「病院内では走らないでください!!」と言う看護婦さんの声も聞こえる。

 ばたん、とドアを開けて再びイルカが部屋に入ってきた。

 その後ろには、ちょうどお見舞いに来たサクラとサスケ。

「やーい、イルカせんせー怒られてやんの」

 シシシっと笑うナルトに一番最初に抱きついたのはサクラだった。

「サ、サクラちゃん?!」

 いつもは気が強くて自分のことを鬱陶しいと思っているだろうサクラがいきなり抱きついてきておまけに泣いているのだ。

 ナルトが目を白黒させていると、いつの間にかサスケがナルトのそばに立っていた。

「寝過ぎだ、ドベ」

 本当は、「心配しただろ」とか優しい言葉を書けてやりたかったはずなのに口から出てくる言葉は正反対だ。

 自分の口が恨めしい。

 言い返してやろうと思いサスケを睨んだが、泣いているサクラの方が気になって、ナルトは言い返せずにいる。

「さ、サクラちゃん、泣かないでってばよ・・・・」

 おろおろしながらナルトはサクラをなだめた。

「ナルト!!アンタね!私たちをこんなに心配させたくせにそんなにぴんぴんしてるってどういうことよ!!」

 がばっとサクラは顔を上げて、恐ろしい形相でナルトを睨みつけた。

 ぐいっと涙を拭ってから、

「本当にナルトはドベなんだから!」

「サクラ、その辺にしておいてあげなさい・・・ナルトが驚いてるから」

「イルカせんせー、怖かったってばよぉっっ」

 本当に怯えていたようだ。

 ナルトは必死でいるかにしがみつく。

「ナルト・・・アンタ女の子に向かって怖かったって何なのよ・・・」

 ぎらり、とサクラはナルトを睨みつけた。

「ご、ゴメンってば、サクラちゃん・・・」

 少し目尻に涙を残して上目遣いでサクラを見上げるナルトにサクラは「まぁ、いっか」と思いはぁっっと溜め息をついた。

「あっ、そうそうナルト、カカシ先生も凄く心配してたのよ?毎日毎日やつれていくカカシ先生、見てられなかったわよ」



 カカシ先生・・・・・



「?」

 きょとん、とした顔をしてナルトはまたイルカにがしっとしがみついて

「一楽のラーメンが食べたい」

 とのたまった。

 その場にいた全員がぶっと吹き出す。

「ククっっ・・・退院したらな」

 苦笑いを浮かべながら、イルカはナルトの頭をぽんぽんっと撫でた。

 ナルトは嬉しそうにいるかに抱きつく。

 ばたんっっ!!と再び誰かがナルトの病室へと駆け込んできた。

 8班10班の面々とアスマと紅だ。そのあとにゆっくりと火影が現れた。

「みんな慌ててどうしたんだってばよ?・・・あっっ、紅せんせー、アスマせんせーこんにちは。・・・じっちゃんも忙しいのにどうしたんだってばよ?」

 以前と全く変わらないナルトにほっと安堵の息を付く。

「な、ナルト君・・・目が覚めて良かった・・・」

 もじもじとヒナタがナルトに最初に声をかけた。

「オウ!!なんかすっげぇ寝てたらしいけど、めちゃくちゃ元気だから早くラーメン食べに行きたいってばよ!」

 元気良くナルトはヒナタに返した。

 ヒナタはぽっと顔を赤らめてうつむいてしまった。

「オメーナルト、だらしねぇなぁ崖から落ちて意識不明なんてダサ過ぎ」

「それがぜんっっぜん覚えてないんだってばよ」

「まぁ、頭打ってるからなぁ、ドベな頭がまたヤバくなったんじゃねぇか?」

「キバっ・・・人のこと言えた頭かい?」

 がすっっと紅のひじ鉄がキバの脳天の直撃した。

 キバは苦しそうに呻いている。

「ナルト、だいじょうぶかい?」

「あ、紅せんせー大丈夫だってばよv」

 にっこりと笑顔を向けたナルトを見て、紅は心の中で大きくガッツポーズ。

「ちゃんと無理しないで休むのよ?」

「もう大丈夫だってばよ!!ホラ!!」

 とんっとベットからナルトが下りたが、さすがに2週間以上寝たきりだったナルトは少しよろめいた。

 そこをすかさずイルカが受け止める。

 下忍(男性)一同、心の中でチッと舌打ちをした瞬間ばんっっと大きな音を立てて扉が開かれた。

「・・・やっとお出ましかよ。テメェが一番遅ぇぞ」

 扉を開けて経っているのはカカシだった。

 髪を振り乱しているがいつもの額当てとマスクは変わらない。

 ナルトが起きているのを確かに確認してから、カカシはナルトに駆け寄ろうと一歩を踏み出した。

 ナルトが目を覚ましている、そのことにカカシの胸は浮き立ちだっていた。

 嬉しくて今にも滲みそうになった涙を必死に堪えながら。





 ナルトが目を覚ましたら、まずはおはようって言わないとね。

 それから、ナルトには「おかえりなさい」を言ってもらって

 たくさんキスをしてもらおう。

 俺をこんなに心配させたんだから





「ナルト・・・・心配したんだぞ?」

 いつもはカカシがナルトに駆け寄る姿など見ても面白くも何ともないが、今回ばかりは特別だ。

 全員が見守っているとナルトが駆け寄ろうとしてくるカカシに向かって口を開いた。

















「誰?」













 

 イルカの胸に頭を預けたまま、ナルトは青い目をすこし見開いて、そう口にした。

 崖から突き落とされる前に見せたあの闇を映した瞳の色を火影は見た。



オレハ アナタ ナンカ シラナイ



 その場は一瞬にして凍り付いた ―――――










記憶喪失話。           
        

記憶喪失の話は大好きです。

2001/11/18