「これじゃ、かえれないってばよ…」
 だれもいない森の中で一人、天使がうずくまっていた。白い翼をばたばたと羽ばたかせながらも、飛べないでいる。
「…勝手に下に降りて来ちゃったから助けも呼べないし」
 誰かに助けを求めるようにナルトは空を見上げた。木々の合間から見える空は、雲一つなく青く澄み渡っていた。
「はぁ…きっとまた馬鹿にされるんだってば…」
 恨みがましく見つめるのは、うっかり引っかかってしまった人間が動物を捕らえるために仕掛けた罠だった。
 地上に降り立ってすぐ、それをうっかり踏んでしまって今に至る。自力ではずそうとしてもそれはびくともしない。
 こんなことなら黙って地上に降りてくるんじゃなかったと、天使は心から後悔していた。そして、自分の体を抱きしめるようにして座り込んだ。
 もがけばもがくほど罠は足に食い込んでいき、徐々に痛みも増してくる。罠が食いついている足からは血が滴っていて、まるでそこに心臓があるみたいにどくどくと熱を持っていた。
「…寒いってば」
 出血のしすぎだろうか。徐々に体が冷たくなっていくような気がした。もしもこのまま誰も助けに来てくれなければ、ここで死んでしまうのか、という考えが頭をよぎる。
「そんなのヤダってば…」
 もう一度、ナルトが空を見上げると、黒い影が視界を覆った。
「…?」
 大きな鳥、かとも思ったが、鳥にしては大きすぎる。逆行でよく見えないその姿に、ナルトは姿を確認しようと目をこらした。
 もしも仲間の天使なら助けてくれるかもしれないと、淡い希望を抱いて。徐々に、その影はナルトに近づいていった。
 はっきりしていくその影に、ナルトは信じられないといったように目を見開いた。
「なんだ、落ちこぼれの天使かぁ…」
 ばさり、と翼を閉じて降りてきたのは真っ黒な羽を持つ人間だった。それは、天使の天敵。『悪魔』と呼ばれる種族。初めての悪魔との対面に、ナルトの心臓はどきどきと早鐘を打つ。
 それは悪魔に対する恐ろしさではなくて、まるで天使のような輝きを放つ銀色の髪に目を奪われたからだった。
 けれど、『落ちこぼれ』と言われたことにナルトはかちんとくる。
「落ちこぼれっていうなってば!…ってぇ!」
 思わず立ち上がった拍子に、足に食い込んだ罠がますます深く自分に食らいついてきて、思わず顔をしかめた。
「なに?お前、人間が仕掛けた動物用の罠にひっかかってるの?ダッサー。ホントに天使?羽も片方しかないし」
 悪魔は小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、天使が一番言われたくないところをついてきた。確かに、背中に生える白い羽は、片翼しか存在していなかった。
 その悪魔の言葉に、先ほどまでくってかかっていきそうだった天使の顔がひどくつらそうに歪んだ。
「…俺だって、好きで片方しかないわけじゃないってばよ…」
 人間の罠にはひっかかるし、足は痛いし、悪魔には馬鹿にされるし。なんだかそんな自分がとても情けなく思えてきて、流したくもない涙がぼろぼろとあふれ出てきてしまう。
「…ちょ、え、俺のせい?」
 いきなり泣き出した天使に、悪魔は思わずあわててしまう。
 普段なら誰が泣こうが、自分にとっては愉快なだけなのに、なぜかこの片翼しか持たない、小さな天使が泣き出してしまったのには罪悪感を感じる。
声も出さず、歯を食いしばってぼろぼろと涙を流している天使を見ると、なんだか本当に自分が悪かったかのように思えて、悪魔はそっと天使に近寄った。
「ち、近寄んなってば…!」
 ぐすっと、鼻をすすりながら威嚇してくる天使に悪魔は小さく笑みを漏らす。どう考えても力の差があるのは歴然としているのに、あくまでも強気な態度を崩さない天使に、悪魔は興味を持った。
 一歩一歩近づいていくと、天使はそのたびにびくびくと体をすくませて、じりじりと後ろに下がっていく。
 けれど、決してその視線は逸らさずに、まっすぐ悪魔の姿を捉えていた。
「…あのさ、それ、とってあげるから泣きやんでよ」
「え…」
 悪魔の言葉に驚いたのか、ぴたり、と天使の涙は止まる。
「足、とってほしいでしょ?」
 未だ涙に濡れた瞳で驚いたように悪魔を見つめていた天使は、しばらく呆然として、こくこくと頷いた。
「…とってほしいってば」
 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら天使は涙を拭いながらそう告げた。ここで一瞬悪魔は「とってあげるわけないだろ」なんて言ってやろうかとも思ったが、そんなことを言えばまた泣き出してしまうんじゃないかと思い、素直に天使の足にひっかかっている罠をはずした。
「あ〜あ…こりゃひどいね…」
 罠が食い込んでいた天使の足は、ひどく傷ついていた。罠をはずしたことにより、どっと血があふれ出す。少しだけ天使は痛みに顔をしかめた。
「早く返って、治療してもらいなよ」
 どこからとりだしたのか、悪魔は白い布を天使の足に巻いてやる。
「…ありがとう」
 ぽつり、と天使はつぶやいた。いつのまにか天使からあれほどとげとげしかった空気がすっかりと消えていた。
「でもさ、俺、こんくらいの傷ならすぐ治っちゃうからさぁ…」
 さすがに、罠が食い込んだままではどうしよもなかったけれども。飛ぶことや、人の治療をしたりすることは全然だったけど、不思議なことに自分の怪我だけはすぐにきれいに治ってしまう。
「…最初すっげえイヤなやつだと思ったけど、お兄さん、いい人だってば!」
 悪魔に対していい人だなんて、思わず悪魔は目を見開いた。さっきまで泣いていた子供は、天使の微笑みと言うのにふさわしい笑みを浮かべていた。
「いい人ねぇ…悪魔なんて信用すると、痛い目みるよ?」
 それは嘘でも誇張でもなくて、この純粋すぎる天使に対しての忠告。天界にだって、悪魔に負けず劣らずずるがしこいやつや、ひどいことを平気でできる天使が大勢いる。今まで出会ってきた天使は、みんなそんな奴らばっかりだった。魔界に落ちた連中だって少なくはない。
 それなのに、この小さな天使は今まで見てきたどの天使よりも天使らしい。
 片翼しかない、人間の罠に引っかかって、悪魔に対して『いい人』だというこの、天使が。
「お前、名前は?俺はカカシ。カカシでいいよ」
 馬鹿正直に名乗ることなんてなかったけれど、なんとなくこの天使の前では嘘がつけなかった。
「俺はナルト。うずまきナルトだってば!」
 太陽に反射してきらきらと輝いた金色の髪が、とてもまぶしく輝いていた。