神様の掌



「カカシせんせー!」
 今日はカカシが任務から帰ると聞いたナルトは里の入口でカカシの帰りを待っていた。久しぶりに会うからドキドキする、なんて思いながら待っているとようやく待ち望んだ人の姿が視界に入って、ナルトはバタバタと嬉しそうにカカシの名前を呼びながら走っていく。
 いつもなら、ナルトの姿を見つけた途端、カカシの傍の空気が柔らかなものに変わるはずなのに、今日は違った。
 走ってくるナルトを怪訝な目で見つめている。
「おかえりなさい!」
 ナルトはすぐにただいま、という声が帰ってくると思っていた。けれど待っても待ってもその言葉は訪れない。
「……お前、誰?」
 え、と声を上げてナルトはカカシの瞳を見つめた。自分を見下ろすカカシの瞳は、見たことがないくらい冷たくて。
 その瞬間、世界が凍った気がした。








 任務の報告のためにカカシは火影の部屋を訪れた。本当だったら報告書だけ提出して帰るつもりだったけれど、なにか違和感を感じて仕方なかったのでそれも一緒に報告しようとカカシは思い立ったのだ。
 こんこん、と律儀にノックをし「はたけです」と名乗るカカシに、部屋の中の人物が驚いて返事ができずにいると、カカシは入りますよ、と声をかけてドアを開けた。
「今日、変なガキに会いましたよ」
 ドアに背を向けて座ったままの火影に、カカシは話し始める。
 任務の報告と、自分の感じた違和感について報告するはずだったのに、なぜか一番最初に頭に浮かんだのは里の入口で会った子供のことだった。
「変なガキ?」
 くるり、と椅子が回って姿を現した人物にカカシは目を見開いた。
「変なガキなんて、お前の恋人以上に変なガキが木の葉にいる訳がないだろう」
 苦笑しながら言うツナデを、カカシは呆然とした目で見つめていた。
「…ツナデ様、いつ木の葉にお戻りになったんですか?」
 まるで、この里で久々に会ったような言いぐさなカカシに、ツナデは眉を顰める。
「何を言っている?」
 ふざけているのかと最初は思ったが、そんな様子でもないカカシにツナデは険しい表情を浮かべた。頭を過ぎった考えにツナデはまさか、と自分の考えを打ち消してみるが、胸の警鐘は鳴りやんでくれない。
「三代目は、どちらに?」
「まさか、覚えていないのか?三代目は…」
 ふと、そこでツナデは言葉を濁した。
 なにを覚えていないのかというカカシの表情に、ツナデは頭が痛そうに額を覆った。
「三代目は亡くなった。今は私が火影だ」
「は?」
 カカシが間抜けな声を出すと、ツナデの表情はますます重くなり、頭が痛い、と言いながらため息をついた。
「この人手不足のときに…」
 つい先日、大量の負傷者が出た任務があり、そのおかげでツナデはもちろん、上忍、中忍、下忍、分け隔て無く忙しい。特に上忍にもなると、そうそうすげ替えができるわけもない。だが、カカシがこんな様子ならカカシを任務から外すのは仕方のないことで。ツナデの頭にはこれからの予定の組み替えがぐるぐると頭を巡る。
「とりあえず、どこから説明すればいいのか…」
 ツナデはカカシに三代目が亡くなる以前のことから、任務の報告書などを用いて少しずつさかのぼりながら質問を投げかけていく。
 これだけでも約2年の記憶を無くしていることになるのに、蓋を開けてみればカカシが忘れている記憶は約3年分。カカシがナルト達の担任についてからの記憶がごっそりとなくなっていた。
「3年分の記憶ねぇ…」
 半信半疑、と言ったようにカカシはツナデを見つめた。
「里を出ていた私がわざわざ里に戻ってまでお前に嘘を付いて、なにか得をすることでもあるって言うのかい?」
 やや眦をつり上げてツナデは疑いの視線を向けるカカシを睨み付けた。3年分の記憶がない原因はよく分からないが、任務中に何かあったことは間違いない。
 任務に行くまでは馬鹿面を晒して自分の恋人とイチャイチャしていたのだから。
 こんなことになるのならペアを組ませるべきだったとツナデは小さく舌打ちをした。カカシがこの有様では原因の突き止めようがない。
「確かに、俺が任務に行っている間に三代目が亡くなって、貴方が火影になっているっていうのもおかしな話ですしね。一応は3年分の記憶がないことをは信じますよ」
 けど、とカカシは言葉を続けた。
「俺の恋人が、あの九尾の器だなんてことは信じられませんね」
 冷たく言い放つカカシをツナデは頭を抱えながらじっと見つめる。信じられないのは確かに無理もないかもしれない。記憶を無くして、周りの人間に誰が恋人だということを急に突きつけられても困ってしまうのは確かだ。しかも男同士で、恋人だと言われた相手は九尾の器。
「そんなことを私に言われても困るな。私が木の葉に戻ってきたときはすでにお前とナルトはそういう関係だったんだから」
 記憶を無くす前のカカシは、なにかと理由を付けては任務を断り、ナルトとイチャイチャすることだけに心血を注ぎ、ナルトに少しでも不埒な考えを抱く者がいれば半殺しにし、ツナデの頭を痛めさせてばかりいた。
 思い出すだけで腹が立ってくる。三代目もかなり胃を痛めたに違いない。
「信じられないものは信じられないですからね」
 まさかさっきの子供が自分の恋人だとは思わなかった。通りで自分が誰だと聞いたときに驚いたような顔をしていると思った、とカカシは先ほどナルトに会ったときのことを思い返す。
 急いでるから、と言ってなにか言いたそうなナルトを振り切ってきたが、こんなことならもっと決定的な言葉をかけるべきだったとカカシは軽く後悔する。
「そろそろ帰ってもいいですかね、俺」
「あぁ、もうこれ以上話すことはないし…明日からは里の中でできる任務に変更しておく。お前の部下はナルトとサクラを付けるつもりだ。なにか思い出すかも知れない」
 そうツナデが言うと、分かりました、と一礼をし火影の部屋を後にしようとする。
「待て、カカシ。お前が記憶喪失になったことはナルトとサクラには話しておくが、しばらく他には内密にしておくんだぞ」
「わかってますよ、それくらい」
 子供じゃないんですから、と言ってカカシは姿を消した。その瞬間、ツナデから大きなため息が漏れる。
「まったく…面倒ばかりかける二人だよ」
 シズネが置いていったお茶をすすりながら、もう一度ツナデはため息をついた。