空っぽ




「頭がおかしくなりそうなくらい、幸せだってばよ」
 ベッドにころん、と寝転がって、ナルトは本当に幸せそうに微笑んだ。満腹になったときのような表情に似ているが、もっともっと満たされたような顔。
 幸せ?
 それはよかった。
「そうだね。オレも幸せだよ」
 そう言って、カカシはナルトに微笑みかける。甘く弧を描いた瞳とは対照的に、口許に浮かんだ笑みは歪な形を作っている。
 幸せそうに微笑んでいるナルトに覆い被さって、カカシは笑顔のままナルトの首に手をかけた。











「カカシせんせー?」
 カカシの行動の意味がナルトにはわからなくて、不思議そうな声を上げる。ひんやりとした冷たい手の感触。微笑んだカカシの顔がどこか現実感のないようにナルトは思えた。 カカシは、ナルトの青い瞳に自分の姿が映ったことを確認すると、ゆっくりと首にかけた手に力を篭める。
 細い首。もっと強く力を篭めれば、きっと簡単にへし折れてしまうだろう。けれど、そんなに簡単に殺したりなんてしない。
 幸せでよかった。
 その方が、どん底へ突き落とされたときの絶望が深いだろう?
 ここまでくるのに、どれだけ時間と忍耐が必要だったと思う?
 オレだどれだけお前への感情をひた隠しにしてきたと思う?
 憎くて憎くて堪らなかった。無意識に殺意が走るのを一体どれだけ我慢しただろう。
 お前が笑うたびに、火影になるんだと言うたびに、怒ったり、泣いたりするたびに殺してやろうかと思うくらい憎かった。

 それなのに

 その都度愛しいと思ったよ。
 それに気付いたときは、自分が信じられなかった。
 勝手に芽生えた感情に吐き気すら覚えた。初めて愛したのが九尾の器だなんて。
 憎んでも憎み足りない相手に、こんな感情を抱いた俺の気持ちが、お前にはわかる?
 けれど、それも今日で終わり。
 オレは自分の感情に決着をつけられる。
 お前を殺せたら、九尾への憎しみの勝ち。
 お前を殺せなかったら、お前への愛しさの勝ち。
 酷いことしてるってわかってるよ。けどどうしても自分だけじゃ――自分の中だけじゃ消化できないんだ。

 ギリギリとナルトの首を締め付ける。そんな自分をナルトは目を見開いて見つめている。苦しそうに眉間に皺を寄せて、時折目を閉じていたけれど。
 そして、カカシの手をどうにか外そうとしていたナルトの手の力が弛む。
 青い瞳いっぱいに涙が浮かんで、ナルトはそっと目を閉じた。
 目を閉じた拍子に、涙が零れて頬を伝った。ゆっくりと唇が動く。

『…――』

 その唇の動きを見た瞬間、カカシの動きが止まった。体が小刻みに震え出して、力が抜けていく。
 ゴホッゴホッっとナルトは空気を求めて一頻り咳き込んだあと、意識を失った。
 シーンとした室内でカカシの荒い息づかいだけが響いた。額には大量の汗が浮かんでいる。
 コク、と空気を飲み込んで心を落ち着ける。心臓の音がうるさくて、いつまでも落ち着かない。じっとりと手に汗が滲んでいるのを、カカシは握りしめた。
 誰かを殺そうとしてこんな状態に陥ったのは初めてで、酷く戸惑っていた。落ち着けと自分に言い聞かせても、心臓は音も速さも増していくばかりだ。
 動揺しているカカシの視界に、横たわったままのナルトの姿が映る。青白い顔。
 殺してしまったのだろうか、それとも生きているのだろうか。
 そっとナルトの口許に手をかざして、息をしているのを確認すると、カカシはほっと胸をなで下ろした。
 殺せなかった。
 生きていてよかった。
 そんな思いが心の中でせめぎ合う。
 あぁ、そうだ。生きてるんだ。息をして、心臓が動いてる。
「…ナルト」
 小さな体を抱き上げて名前を呼ぶと急に愛しさがこみ上げてくる。
「ナルト…ナルト…っ」
 ごめん、ごめん、と何度も謝罪の言葉を口にしながら、カカシはナルトをきつく抱きしめた。その声は震えていて、次第に涙が頬を伝っていく。
「…ごめんね」
 ナルト、といくら呼びかけてもナルトはぴくりとも動かなかった。