『あなたは誰も愛せないのよ。だから誰も貴方を愛さないの』
ずっと昔、もう顔も覚えていない女に言われた言葉。声だって覚えていないのに、その言葉だけは鮮やかに蘇ってくる。
誰も愛せないと言われたときは、ああ、きっとそうだろう。と軽くながして、誰からも愛されないと言われても少しも心は痛まなかった。
今になってあの言葉を妙に思い出すのは、愛されることがないことが最初から分かっていたのに、それでも愛しいと思う人間が現れたからかもしれない。
金色の髪に、青い瞳。そんな色を持った人間はこの里に一人しかいない。そして、その身になにが封じ込められているか知らない大人は一人もいない。一回り以上年下で、同性で、その時点で叶う望みなんてない恋。
そして、なによりも自分その子供の監視役だという事実。何も知らない子供は無邪気に自分を信用しているみたいだけど、監視役だということを知ってしまったら大好きな子供の笑顔が、自分の前から消えてしまうかもしれない。
子供がそのことを知るのはもう時間の問題で、そうしたらもうただ傍にいることも叶わない。あの子供の中で嫌悪すら抱く存在になる。笑顔を浮かべていても、自分を見るときは傷ついたような哀しい色を浮かべているのだ。そんな表情をさせてしまうことがなによりも怖かった。
それを考えるととても胸が痛む。あの言葉が胸の中に響く。
あなたは誰も愛せないのよ。
誰からも愛されないの。
愛しても無駄なのだと、まるで呪いのように頭の中で繰り返される言葉。
それならば、せめて少しでもあの子供の心に留まれるように。もしかしたら、ほんの僅かな可能性しかないけれど、自分の愛している気持ちを受け止めてもらえるように。それが無理ならば、きっぱりと諦めさせてくれ。きっともう誰かを愛することはないだろうから。
そう思いながらも、もう少しだけ傍にいれるようにと、一度も信じたことのない神様にカカシは祈っていた。
「カカシせんせー!」
大きく手を振りながら、子供が駆けてくる。バタバタと音が聞こえてきそうな走り方に、忍らしくないと思いながらも自分の元に一目散に駆けてくる子供に自然と表情が弛んでしまいそうになる。
「ナルト、どうしたの?」
傍にきたナルトにカカシ柔らかな笑みを浮かべる。きっとこの笑みを浮かべさせることができるのはこの世でナルト一人だけだ。先ほど、顔が弛むのを必死で堪えたばかりだというのにキラキラとした目で見つめてくる子供に、どうしても顔が弛んでしまう。
「あのね…ちょっと相談が」
あるんだってばよ、と言うのを遮るようにカカシは口を開く。
「修行つけろっていうなら、きかないよ?」
「ちっがーう!そーじゃなくってさ。その……」
ちょっとだけ気まずそうに視線を逸らすナルトにカカシは首を捻った。じっとナルトの顔を見てみれば、ほのかに頬が赤らんでいる。あぁ、そうかとカカシは合点がいった。けれど自分からはそれを聞くことはどうしてもできなくて、カカシはナルトが口を開くのを待った。
「…俺さ、好きな人がいるんだってば」
「あ、そ」
思っていたこととは違っていて、思わずおもしろくないような声が出てしまったけど、ナルトはそれに気付いた様子もなく少し恥ずかしそうに、矢継ぎ早に口を動かした。
「カカシせんせーが恋愛経験豊富だってアスマせんせーが言ってたから、相談にのってもらいたいんだってばよ!だってさ、その人俺が好きとかいっても絶対信じてくれないっていうか、相手にしてくれないと思うし、ね?せんせー!お願いだってばよ!」
あのクマ、殺す。と心の中で呟いて、カカシは小さくため息を漏らす。
したり顔でナルトにアドバイスするアスマの顔が頭に浮かんだ。なにが悲しくて好きな相手に恋愛相談をされなければならないのだろう。
「カカシせんせーってば!」
がしっとナルトはカカシの服を掴みゆさゆさとカカシの体を揺さぶる。
そんなナルトを見て、やっぱり少し傷ついていたのだろうか。無反応なままカカシはナルトを見つめていた。見上げてくるナルトの青い目は心配の色が伺える。カカシは、それを見てナルトにはわからないようにため息をついた。
「俺は、お前の望む答えを返してあげられないかもしれないよ」
「…うん、いいんだってば」
ナルトは一瞬考えた後、今までに見たことがないような顔で笑った。
柔らかい微笑み。もしかしたらナルトは今好きな人のことを考えたのかもしれない、と思うとカカシはちり、と胸が痛んだ。
ほんの一瞬感じた痛みが、まるで火種になったみたいにあっという間に心を覆い尽くしていく。
嫉妬しているのだ。ナルトが、こんな顔をするくらい好きだと思う人物に。
「酷いことだって言うかもしれないよ」
例えば、諦めろとか、お前には釣り合わないとか、そんなことを言うかもしれないとカカシは心の中で呟く。うまくいきそうになったらもしかしたらそんな言葉が口をついて出てしまうかもしれない。
「大丈夫、俺がんばるってばよ!」
そう言いながらガッツポーズを決めて笑うナルトに、カカシは複雑そうな面持ちで笑みを浮かべる。
「はいはい。じゃあ、相談があるときは家にきなさい」
「うん!カカシせんせー、サンキューってばよ!」
ただ相談を受けることをOKしただけなのに、嬉しそうに笑うナルトにカカシは愛しさがこみ上げてこずにはいられなかった。そして同時に、これでいいのだと自分に言い聞かせる。
いくら好きでもナルトは同性で、14歳も年下で、そして監視する立場とその対象になるのだ。まともな大人だったら、同性な時点でそんな思いを抱かない。
きっとナルトと出会う前の自分だったらそうだ。そして、めんどくさい恋愛相談なんて絶対に引き受けなかっただろう。しかも、自分が好きな相手の恋愛相談ならなおさらだ。
もっとも、今まで誰かを愛したことなんてなかったけれど。
別の誰かを思っていても、ナルトの笑顔が見れるなら、少しでも同じ時間を過ごせるなら、それでよかった。
たとえそれが自分を苦しめるとわかっていても、ナルトと一緒に過ごす時間が持てる誘惑に逆らえなかった。
少しだけ、ナルトが自分から離れていく間の少しだけでいいから傍にいたいとカカシは思った。
「きっと、ナルトの思いは相手に伝わるよ」
伝わらなければいい、と心の片隅で呟くもう一人の自分を笑顔で隠しながら、カカシはナルトの頭を撫でた。
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